【2010年1月22日/2022年11月追記】五反田遊古会から我楽多市へ

【2010年1月22日】
南部古書会館の五反田遊古会。
読売新書『コーヒーの本』を何気げなく手にとって、ああそうだ、この井上誠の著書は、珈琲世界に心酔していたころに、とある珈琲店のマスターからこの本は読んだほうがいいと教えられて、探しまわって、けれど古本屋ではなかなか見つからず、図書館から借りて秘かに全ページをコピーして、海賊版を作り上げたのだった。今となっては当時の熱情をもって欲する本ではないけれど、とうにほとぼりの醒めた今頃になってひょっこりと現われる。200円で現われる。ほろ苦いのか甘いのか、何やら夢中の過去の私(誰だろう?)とばったり出遭う。その他、1階ガレージ会場では5冊。

南部古書会館の2階は、部屋に入ってすぐ左手の200円均一棚がいつも面白い。今日は『あまりにも性的な』宇野鴻一郎(KKベストセラーズ)、『文明の鈍器』渋沢秀雄(旅窓新書)、『風流おかめ八目』池島信平/扇谷正造(修道社)、『大人を楽しませる優雅な本』岸篤(あまとりあ社)を軽やかに拾い集める。

詩集を集めた棚では石川善助『亜寒帯』を手にとってみる。石川善助という詩人は知らないし、中身をぱらぱらめくってみて……高村光太郎が序文を寄せていることや、昭和11年の刊行であることや、詩人は32歳で早逝、値段500円……など、この本を買おうと決めた要素は幾つかあるにしても、そもそもなぜそれに手を伸ばして抜き取ったのか、あとから振り返ってみてもよくは思い当たらない。いったい何が感応したのだろう。

およそ3時間の周遊を終えて、ガレージ前の路上でいっぷく。今朝は便秘の気味だったのだが、こんどは俄かにごろごろと鳴る。駅に向かって歩いているとだんだん危なくなってきて、都営地下鉄五反田駅の個室に駆け込む。事無きを得たところでほっと一息つき、一息ついでに鞄から遊古会の会場でもらった目録を取り出してしばし眺める。そう言えば和式便所にしゃがむのは久しぶりだ。いちいち回顧するには及ばない案件ではあるし、それを書きとめる必要は尚更に無用のものだとは思う。

神保町に移動して、東京古書会館の我楽多市(がらくたいち)。
ラジオドラマ新書の伊馬春部いまはるべ脚本集『天の川』が210円。おや、このキクヤ書店の桃色の値札には見覚えがある。このあいだの即売展で買った『まぼろし』(同じくラジオドラマ新書の伊馬春部集)を出品していたのがキクヤ書店だった。そして、そのときも『まぼろし』と一緒に『天の川』が並んでいたことを覚えている。売価はどちらも1050円だった。
また、両冊ともに同一人(大村様)宛ての献呈署名があったことも覚えていて、今日の『天の川』にもその署名があるから同じ本であることは間違いない。つまり、このあいだ『天の川』は売れ残ったのだろう。それで今回は値下げをして出品しているのだろう。もしかすると『まぼろし』も、あのとき買わずに辛抱していれば、今日は210円で入手できたのかもしれない。いや、あのとき買っていなければ誰かに買われてしまって『まぼろし』が、ほんとうに幻の1冊になってしまったのかもしれないのだから、これはこれでよいのだと、自分に言い聞かせる。
それに大村氏の蔵書として、ひととき同じ時間を過ごした2冊であるならば、先日の『まぼろし』が今日の『天の川』を呼び寄せたのかもしれないのだ。

その他、いつだったかの西部古書会館の即売展で見送ってしまい、ちょっと後悔していた『駅弁パノラマ旅行』(千趣会)と再会し、うれしく購入する。298円。

2010年1月22日 今日の1冊
*五反田遊古会/南部古書会館
『コーヒーの本』井上誠(読売新書/1970)200円

【2022年11月追記】
図書館で複写サービスを受ける場合、著作権法により、単行本は著作物全体の半分までしかコピーできないそうです。
図書館で借りた本を個人でコピーする場合はどうなるのか、『コーヒーの本』の全ページコピーはやはりやってはいけなかったのかもしれません、御免なさい。
また、地下鉄五反田駅での尾籠な話を書いてしまったことも、重ねて御免なさい。

井上誠(1898-1985)は珈琲研究家です。
日本における珈琲研究の泰斗であり、昭和25年に出版された『珈琲記』(ジープ社)を初めとして、『珈琲』『第三の珈琲』『珈琲の研究』『珈琲物語』など数多くの珈琲書を著わしています。
ごく初期には『季節の風』(詩洋社/昭和2)という詩集があり、のちの珈琲研究家が若かりし頃はどのような詩を書いていたのか、興味深いところでありますが、まだいちども『季節の風』を見かけたことはありません。