【2012年3月27日】
午後、新橋SL広場の新橋古本市。
だいぶ暖かくなった。
厚手の上着を脱ごうとすると、しかし日陰は案外と風が冷たい。真冬の恰好で春の古本をさがす。
横浜(保土ヶ谷)の麒麟堂のテントから、宮崎博史『少年少女ユーモア劇集』(宝文館少年少女ユーモア文庫/昭和28)2000円。1頁切取り(落丁)の注意書きがあるが、まあよしとする。
昭和30年前後に多発されたユーモア小説の一群は、1000円で見つかれば即決するし、2000円なら何とか購買意欲が湧く。このあたりが境目で、3000円を超えてくるとためらいが生じる。
店名は失念したが、同じく横浜からの参加店のテントでは、菅野邦夫『山菜手帖』(平凡社カラー新書/昭和52)100円。
しましまブックス(これまた横浜)で、谷内六郎『旅の絵本』(旺文社文庫/昭和57)100円。
購入3冊。
銀座線から田園都市線に乗り継いで溝の口。
約束の時間にはまだ間があるので、ドトールコーヒーで『夢声戦争日記』を読もうと思ったのだが満席だった。
小松屋書店と明誠書房を覗く。古本を眺めていれば1時間くらいは一瞬だ。
夕方、友人宅を訪れ、缶ビールを飲みながら今日の収穫を見分。
『少年少女ユーモア劇集』は少年少女ユーモア文庫の1冊だが、巻末の刊行案内をみると、北町一郎『うっかり行進曲』、伊馬春部『コケコッコ百貨店』など、胸の襞々をくすぐる書名である。
『山菜手帖』は、もしかしたらもう持っているかもしれないと思えてきた。
すると友人が「前におまえが買ってきた『山菜手帖』を見た覚えがある」と言う。
そうだったっけ?
いつのことかは知らないが、どこかで買った『山菜手帖』を、ここで、こうして、同じようにめくっていたのか。歴史はくりかえすということなのか。
【2023年10月追記】重複購入
以前に買っている本を、すっかり忘れてまた買ってしまうのは、歴史はくりかえすということではなく、ただのボンヤリです。
重複購入にはいくつかの様態があります。
①読書用と保存用とに分けておくために敢えてそうするのは、高級な買い方と言えるでしょう。
なかには、誰かに貸すための3冊目を用意するという図書館みたいな愛書家もいるようです。
②より状態のよい本を改めて買う。①の動機とも重なりますが、汚れやシミの有無、またカバーや外函や帯が備わっているかどうかは、読むだけならば問題にはなりません。しかし物としての本を見た場合には、可能なかぎり美本を手許に置いておきたいものです。
③珍しい本や、本来ならもっと値段の付いてよさそうな本が、格安で放出されていたりすると、持っているとは知りながらつい手を伸ばしたくなります。
④買った覚えはあるけれど、部屋のどこにあるのか分からない。今すぐ読みたい場合など、探し出す手間暇を考えたら、別の本を買い直してしまったほうが遙かに安上がりなのかもしれません。
⑤良い本を買ったと思って家に戻ってみたら、すでに持っていた。がっかりの頂点です。同じ本を買ってきたことを、知らなければ知らないままで過ごせるのだとしたら、そのほうが幸せなのでしょう。
『山菜手帖』は2冊目を買っておきながら、さて今、その2冊ともどこに埋もれたものか、どこにも見当たらないという不始末です。
ついでに言うと『旅の絵本』も2冊目でした。2年前に藤沢の太虚堂書店で買っていました。