【2012年6月9日】
西部古書会館、大均一祭。
大町糺『さんもん劇場』(近代文藝社/昭和58)200円。購入1冊。
大町糺と云えばたしか『カリー伯爵の憂欝』の著者であるが、何を読んでそれを知ったのかは覚えていない。
頭の中のどこかにはメモの切れ端のようなものが貼り付けてある場所があるらしく、普段はまったく使い物にならないような記憶の死角に位置するのだが、そのメモと合致もしくは関連のある古本が眼の前に現われると、その瞬間だけ電気が通じる。
大町糺を意識して探したことはいちどもなくても、こうして視野に入ると、意識よりわずかに先行して手が勝手に動く。
さんもん劇場=大町糺=カリー伯爵、ああそうだった。と、筋道をつけながら、しかしその瞬間、いったい誰が古本に手を伸ばしているのだろう。
ネルケンで珈琲。
『さんもん劇場』の奥付を見ると、大町糺は文学とともに絵画の道にも進み、その師として、久保田万太郎、堀口大学、熊谷守一の3名が挙げられている。
――句会に参加するため伝法院を訪れた主人公が、ふと我が身の来し方を振りかえる。
昼時の、花曇りの回想から『さんもん劇場』は幕を開け、戦後の浅草で、その日その日をやりくりした渡世人たちの右往左往が語られてゆく。
筆致はたいそう穏やかで、読者を煙に巻くような飾り気はない。もともとは、久保田万太郎主宰の俳誌『春燈』に連載された作品とのことだ。
巻頭の30ページほどを読み、珈琲をすすり、ここにきて『カリー伯爵の憂欝』は、正式に探求書の1冊となるのである。
小雨の中を歩いて中野ブロードウェイ。
まんだらけの『小さいお嫁さん』を今日こそは引き取るつもりだったのだが、しばらく眺めているうちに気が変わる。
廊下の陳列棚には『ポルの王子さま』の登場だ、以前ここで見かけたときは1万2600円だったが、今回の評価はさらに上昇して2万1000円。
『奇譚クラブ』や『あまとりあ』など性風俗の雑誌が並ぶ棚の前に佇み、ふとそれらの中の1冊に手を伸ばした長身の御婦人のその指先。或いは朝方の均一祭、『鬼平犯科帳』と一緒にフランス書院文庫『濡れた金曜日』をしっかりと摑んだ白髪の御老体のその手の甲の皺。何と言うことはないのだが、何とはなしに忘れ難く、これもまた、古本情緒のひとつなんだろう。
2階の古書うつつ。それでは『新・金茎和歌集』だけでも引き取ろうかと思いながら、たぶんまだしばらくは売れないだろう、こちらも保留にする。
吉祥寺、いせや公園店は今月末で一旦閉店となり、ついに改装されてしまう。
飲み納めをしておこうかと訪れるも大行列。諦めて本店へ行き、焼酎とつくねと大町糺の続きを少し読む。
【2024年2月追記】大町糺
大町糺【おおまち・ただす、1913(大正2)-】
詳しい人物像は判りません。
生年については国会図書館書誌情報の著者標目を参照しました。
すでに鬼籍に入っておられると察せられますが、没年は不明です。
終戦後の昭和21年、大町糺は安住敦と共に、久保田万太郎を主宰として擁立し、俳誌『春燈』を創刊しました。
『さんもん劇場』が連載された雑誌です。
万太郎の逝去後、安住敦は二代目主宰となりますが、大町糺はどうだったのか、春燈俳句会での活動については判然としません。
裏方に徹したということなのかもしれませんが、春燈創立時に安住敦と二人一組で(一瞬だけ)登場するのみで、表立ったところにその名が出てきません。
(参照*〈春燈俳句会〉ホームページ)
画業のほうでは、1972年に個展を開いています。
図録『大町糺個展』(フジテレビギャラリー/1972)が発行されています。
図録の副題には「火焔の色彩とフォルムが生んだ″人間詩魂″の画家」とありますが、この図録は未見につき、「人間詩魂」がどのような魂なのか、想像がつきません。
また1984年には『大町糺作品集』という大判の画集(?)が求龍堂より刊行されていますが、これも未見です。
以上、まったくの付け焼刃ですが、辿れるところを辿ってみました。
『カリー伯爵の憂欝』(甲陽書房/1965)は、その後入手しました。
入手はしましたが、買ったきり、そのまま、どこかに埋もれています。
『さんもん劇場』も、冒頭の30ページほどを読んだだけ、あとは投げ出して、どこかに埋もれています。
申し訳ありません、と大町糺先生に謝ります。
原因は、買うだけで満足してしまう詰めの甘さと、きちんと本を整理しない我が身の怠慢によるものです。
以後、買った本はすぐに読み、その本は積み上げたりせず整理整頓を心掛けたいと思うことは思うのですが……。
過去に購入した古本について何かを書こうとすると、このようにして、結局は始末書になってしまいます。