【2010年10月27日】
神田古本まつり、初日。
西端(神保町駅A1出口)から出発して、右手の店頭棚と左手の露店とをきょろきょろしながら歩く。
しばらくは手ぶらの漫歩。
岩波ブックセンター脇の路地まで進んで、最初の1冊、『松本竣介』朝日晃(日動出版)1000円購入。値札は1050円だったが、端数の50円はオマケして下さった(出品は目黒の飯島書店)。

神保町交差点を渡ってなお進むと、古書会館の即売展でいつもお見かけする人が、露店のお店番をしている。即売展のご常連の一人は古本屋の店主さんだったのか、と知る。
郡山から参加の古書ふみくらの露店では、服部亮英『スケッチと漫画自在』が面白そうだが、2500円では残念だ。
なかなか2冊目の音沙汰がなく、折からの寒気にそろそろ身体が冷えてきた。
両手に重たそうな紙袋を提げた小父さんなんかは、寒さをものともせずに満面のほくほくだ、羨ましい。
それからあなた、古本がぎっしりの、四角にふくれた背中のリュックがこちらの肩にぶつかると結構痛いんだ! むっとしてつい睨みかけるのだが、見ればリュックの旦那さんも、さらに収穫満載の紙袋を両手に提げて、物凄く幸せそうな顔をしている。あるいは今日という日を指折り数えて遠路はるばる駆けつけた愛書家なのかもしれず、己の短気を反省する。
驚いたのは巌松堂が全品半額だったことだ。古本まつりの期間中にかぎってのことだが、それにしても全品半額とは、まるでトキヤ書店だ。
小母さんが3人連れ立って古本屋の店内を散策するなど、滅多にお目にかかれない光景ではなかろうか。半額の威力は絶大のようだ。
この恩恵を浴さずにいられようかと張り切るが、1冊も買えなかったのは遺憾である。
店内で見かけたお客さんの一人、やはり即売展でよく見かけるご常連なのだが、バサリと棚から引き抜いて背表紙をめくり売値を一瞥、バタンと閉じて決着。相場についての情報は完全に頭に入力されているという様子で、目次を見るとか奥付を見るとかちょっと拾い読みするとか、全く無駄な動作がない。次から次へと古本機械のように選別し、たちまち10冊、20冊、見事な早業である。つい見とれてしまった。
書泉グランデに入り、ウェッジ文庫を探す。あっさり見つかった。ほっ。
平山蘆江『東京おぼえ帳』800円と浅見淵『新編燈火頰杖』780円を入手する。

古本露店に戻り、さて駿河台下、東端に到着。
結局、神田古本まつり青空掘出し市では1冊だけだった。
三省堂書店にて、関口良雄『昔日の客』(夏葉社)2310円、購入。質素で美しい本。
昨日の朝日新聞の書籍広告面で、ここ三省堂神保町本店の店員Oさんがオススメしてくれたおかげで、この本の復刊を知ることができた。
地味と言っては語弊があるが、派手やかさとは対極にあるようなこういう出版物を取り上げてくださった心意気に、本来なら直接、お礼を申し上げるべきなのかもしれない。『昔日の客』を持った不審な男がOさんを探しまわっている、と店内を騒がせてしまっては迷惑なので、それはやめておいた。
32年ぶりの復刊という快挙なのだそうである。もちろん夏葉社にも感謝申し上げます。
ミロンガで珈琲を飲んだあとは、古本まつり会場から離れて、すずらん通りの湘南堂書店で『船首像』田辺穣(平凡社カラー新書)100円。靖国通りの北側に移って、元祖(?)店内全品半額のトキヤ書店を巡回し、アカシヤ書店の店頭からは『モロッコ革の本』栃折久美子(ちくま文庫)100円を買う。
いつしか日も暮れて、大通りをはさんで眺めれば、古本まつりの露店沿いに提灯と裸電球の淡い光が、懸け橋のように連なっている。少し離れて見る古本風景も味わいがある。
【2023年2月追記】
「神田古本まつり」は毎年1回、10月末から11月初めにかけて開催されます。
日本でいちばん有名な古本まつりでしょう。
会場は靖国通りに沿った神保町古書店街。
2020年、2021年は、新型コロナウイルスの影響で中止となってしまいましたが、2022年3月には規模を縮小しつつ特別開催を行ないました。
そして同じ2022年の10月、大看板や提灯も以前のようによみがえり、いつもの季節に、いつもの神田古本まつりが戻ってきました。
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巌松堂、正しくは「巌松堂図書」は、この日の約1か月後、2010年11月21日に閉店となりました。
専門書店が軒を連ねる古書店街にあって、巌松堂は広く古書一般を取り扱い、販売価格も総じて控え目で、とても入り易い古本屋さんでした。
もはや記憶は曖昧ですが、この日はまだ閉店の告知はなかったはずです。もしあったとしたら、もっと動揺していたでしょう。それとも「半額」に気を奪われて、気がつかなかっただけなのかもしれません。
いずれにしましても、あとから振り返ってみれば、閉店を目前に控えた謝恩セールの一環であったと思われます。
古くからの名店が無くなってしまうのは寂しいかぎりでしたが、その後、巌松堂図書の跡地には「澤口書店巌松堂ビル店」が入店し、現在も盛業中です。
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『昔日の客』の著者、関口良雄氏は「山王書房」の店主です。
馬込文士村と呼ばれた大森の地にお店を構え、近代日本文学が専門の古書店でした。
1977年に関口氏は逝去され、山王書房は閉店。
すでに半世紀近くが経ちますが、尾崎一雄、尾崎士郎、上林暁、野呂邦暢など、生前は多くの文士と交流があり、また書物エッセなどでもたびたび取り上げられていますので、ご存知の方は多いでしょう。
『昔日の客』の元版は、関口氏が亡くなった翌年、1978年に三茶書房より刊行されています。
発行部数が少なかったことや、山高登木版画一葉付きであったことなどから、その後の古書価は高騰し、読みたくても簡単には読めない。幻の名著として、久しく入手困難な状況が続いていました。
私が『昔日の客』を知ったのは、復刊される2、3年くらい前だったと思いますが、憧れつつ手の届かない稀書としてほとんど諦めていましたから、夏葉社からの復刊は、ほんとうに驚きました。
夏葉社版『昔日の客』は、初版刊行後も版を重ね、現在も新刊で購入できます。税込2420円。
新刊書店や通信販売はもちろんですが、古本屋さんでも、夏葉社の出版物を新刊で販売しているところがあります。
函もカバーもない質素な造本ですが、端正で美しい本です。
木版刷りから印刷へと代わってはいますが、山高登の木版画も口絵として収録されています。
また、三茶書房版『昔日の客』刊行の翌月には、『関口良雄さんを憶う』という追悼文集が出版されています。
『関口良雄さんを憶う』も、夏葉社により2011年に復刻版が刊行されました。税込880円。
山王書房があった場所は、現在「カフェ昔日の客」となっているそうです。
関口良雄氏のご家族の皆様が2019年に開店したとのことです。
時代を超えて書物が受け継がれてゆくように、書物を扱う人の心もまた受け継がれてゆくのでしょう。