【2010年10月30日】
台風接近中。
高円寺にさえ辿り着くことができれば、あとはどうなっても、すべての交通が麻痺してもかまわない。
東京競馬の開催は延期になったようだが、即売展はおそらく、古書会館の屋根が吹き飛ばされでもしないかぎりは大丈夫だろう。
出かけてみれば実際は雨も風もそれほどではなく、大騒ぎすることはなさそうだ。
西部古書会館、古本博覧会。
多少は台風の影響なのか、いつもよりお客さんの数は少ない。
それでも先陣の皆様は、地震台風火事親父それがどうした、といった風情で蒐書に専念しておられる。
まずはガレージで林良材『誤診百態』100円。
以前、ささま書店の店頭で『第二誤診百態』を買っているから、これで正続が揃った。もう1冊、林良材『町医三十年』があったのだが、良材先生の医者話ばかり集めても私には宝の持ち腐れだろう、見送る。
屋内会場に入って、あまとりあ新書、前田藤四郎展図録と進み、机の上にずらりと積み上げた古雑誌の束から、『別冊モダン日本』昭和26年4月号など、200円の読物雑誌を4冊。
盛林堂書房の棚では、春陽堂日本小説文庫の辰野九紫『サラリマン講座』500円。
この日本小説文庫は、巻末の刊行目録をざっと追いかけると、丸木砂土、和田邦坊、中村正常、細木原青起、北村小松、等々眺めているだけでわくわくしてくる名前が並んでいる。
以前買った中村正常『花嫁戯語』には春陽堂文庫と表記してあったけれど、同書はこの日本小説文庫としても発行されている。春陽堂文庫と日本小説文庫、どのような違いなのだろう。
とにかく、春陽堂が戦前に刊行したこの文庫と、たまにでよいから、こうして出くわしたいものだな、と思う。中村正常『一人用寝台』や和田邦坊『人生ふらふら道中』や、想像するとうっとりしてしまう。
盛林堂書房が古書即売展に参加するのは、春と秋の古本博覧会だけだろうか。いつも大量の文庫本を廉価で提供してくださる。今日はその他に、春陽文庫(これは戦後の刊行)の園生義人と、講談社文芸文庫の木山捷平。
購入メモ
*古本博覧会/西部古書会館
『誤診百態』林良材(東京創元社)100円
『二十代の愛と純潔』大野千秋(あまとりあ社)500円
『前田藤四郎』大阪市立近代美術館建設準備室編(東方出版)1000円
『別冊モダン日本』昭和26年4月号(モダン日本出版部)200円
『笑の泉』昭和26年3月特別号/風流奇談百家選第7集(笑の泉社)200円
『艶笑奇談百家選』笑の泉臨時増刊/昭和26年10月(白鷗社)200円
『笑』読切小説集増刊/昭和30年2月(荒木書房新社)200円
『サラリマン講座』辰野九紫(春陽堂日本小説文庫)500円
『令嬢はお医者さま』園生義人(春陽文庫)300円
『木山捷平全詩集』(講談社文芸文庫)900円
都丸支店の店頭棚を簡単に覗き、ネルケンで珈琲。
まずは一服つけて、買ったばかりの古本の包みをとく。やっぱり『町医三十年』も買っておけばよかったか。
そして鞄から、持参した『昔日の客』を取り出す。ネルケンの椅子に座って読みたかったのだ。
熱い珈琲と、ページを繰れば、尾崎士郎が《古本のほこりはきれいだよ》と述べるエピソードが綴られている。(関口良雄『昔日の客』夏葉社)
ほかに客の姿はなく、レコード盤の名曲と雨の音。テーブルに載せた幾冊かの古本と一緒に、茶ばんだ時空の奥底へ、ずぶずぶと埋もれてしまいそうだ。もう、21世紀なんかどうでもいいや……、そこへ入口の扉を開けて、たいそう佇まいの美しい女性が入ってきて、向こうの席へ。……21世紀も満更捨てたものではないな、と思い直す。
古書会館を再訪して『町医三十年』(東京創元社)を買った。200円。
場合によってはこのあともういちど東京古書会館の特選展へ行くか、あるいは今日明日と神奈川古書会館でも即売展を行なっているそうなので魅力はあったのだが、このあたりで切り上げる。
【2023年2月追記】
西部古書会館の古本博覧会、正式な名称は「ちいさな古本博覧会」。
2008年5月から始まり、毎年春と秋、年2回の開催でしたが、2012年10月に終了し、現在は行なわれていません。
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「日本小説文庫」と「春陽堂文庫」は、いずれも春陽堂書店の発行です。
昭和6年から刊行が始まりましたが、日本小説文庫は大衆小説、春陽堂文庫は文学作品、さらに外国文学を収めた「世界名作文庫」と、当初は分野別に3つの文庫が刊行されていました。
日本小説文庫と春陽堂文庫は表紙のデザインが同一で、叢書名の表記のみの違いですから、一見したところ見分けがつきません(世界名作文庫はデザインが異なります)。
見分けがつかなくても、特別に困るわけではないのですが、ややこしいことはややこしいです。
昭和14年頃からは3つの文庫をまとめて「春陽堂文庫」に統一されたようです。
戦後の昭和26年頃になると、名称が「春陽文庫」に改まり、昭和30年代からはカバーが付くようになりました。
カバーを外すと、戦前の春陽堂文庫の面影が覗いて見えます。
春陽文庫は、時代、推理、ユーモアなど、大衆小説が中心です。
大衆小説を侮るなかれ、書目によっては素晴らしい古書価がついています。一介の古本散歩者にはとても手が出せません。『ふしぎなふしぎな物語』を100円均一の棚から掘り出してみたい……残念ながらこれは散歩者が描く儚い夢と言えるでしょう。
なお、春陽堂は明治30年から31年にかけて「春陽文庫」を刊行しています。
文庫と言っても、大きさは菊版(?)くらいで、その後の文庫本とは全く異なります。
たまたま名称がそうなったというだけで、現在の文庫本の先駆けというわけではないようです。
全10篇ほどが刊行されたようなのですが、明治時代の春陽堂編集部の人たちは、半世紀後にふたたび春陽文庫が登場して隆盛するとは思いもよらぬことだったでしょう。
反対に、昭和30年代の春陽堂編集部の人たちの中には、明治版春陽文庫の存在を知らない人が案外といたのかもしれません。
何かと入り組んでいる春陽堂の文庫です。