【2010年12月10日】
東京古書会館、書窓展。
いちどでよいから、即売展をこの自分一人で独占してみたい……。
会場入口の傍らに身構えて10時の開場を待ちながら、開け放たれた扉の向こう、まだ誰にも荒らされていない新雪のような書架を見遣るとき、誰もがそんな美しい夢を夢見るのではないだろうか。
私一人のための即売展……。それは夢だ。社長でも大臣でも殿様でも、それは永久にかなわぬ夢である。
ならば10時になったら、甘美な夢は吹き払うのだ。行け突貫小僧、あきつ書店の棚へ!
と、せいぜい気焔を吐くのだが、大波小波にざんぶりと、翻弄される笹舟の、これじゃあ突貫どころか、どう頑張っても一寸法師の漂流記だな。
人波に揉まれ揉まれて、どうにか5冊を確保。例によって雑本の踊りだが、朝日文化手帖の福田蘭童『うわばみの舌先』が、私なりの敢闘賞となるだろうか。
さて、無我夢中のほとぼりが冷めてみると、大正8年という刊行年に魅かれはしたものの、『花札の遊び方』は要らないか、元に戻す(元の棚に戻すのも一苦労する)。
のんびりと会場を一周したのち、最後にあきつ書店に回帰すると、さっきは気づかなかったのか、それとも誰かが戻したのか、丸木砂土『わが恋する未亡人』なんていう本があって、これはぜひとも収穫しておきたい1冊。そうすると、どうしよう。ここまでは買うつもりで抱えていたけれど、『無極随筆』700円、今日のところはサヨーナラ。
会計のとき、帳場で隣合った御仁の足許を見ると、4つに折り畳んだ千円札が落ちていたので拾って差しあげる。お金を落としたことにまったく気づいていなかったようだ。釣銭を財布に仕舞おうとしていた御仁は小さくのけぞる。いちばん大事なものは今入手した古本で、お金なぞは古本の比ではない、そんな紙切れにまでは気がまわらないということなのかもしれない。
購入メモ
*書窓展/東京古書会館
『卅年』石川欣一(文藝春秋新社)300円
『わが小画板』加藤武雄(新潮社)900円
『うわばみの舌先』福田蘭童(朝日文化手帖)400円
『わが恋する未亡人』丸木砂土(アソカ書房)500円
三茶書房から波多野書店まで、一直線に店頭を歩き、今日はそのまま竹橋の近代美術館へ。
麻生三郎展と鈴木清写真展を観る。
麻生三郎の著書『イタリア紀行』が、その表紙絵の原画と共に展示されていた。こんな紀行文があったとは知らなかった。1943年、越後屋書房から刊行。この先、果たして古本屋で遭遇することは、ありやなしや。
鈴木清写真展は、2階の小部屋で開催。『流れの歌』など8冊の写真集が自由に閲覧できるようになっていた。この配慮はうれしい。自由とはいえ、やはりいずれも貴重な書物ゆえだろう、閲覧者は写真用の白手袋をはめなければならず、その手袋がちょっと湿っぽいのが難点だった。
8冊揃で現在の古書価はいったい幾らになってしまうのだろう。
図録『鈴木清写真展:百の階梯、千の来歴』は、文庫本の大きさながら、400ページ弱という厚冊で1500円。購入する。
美術館の外階段の下の、日の当たらない灰皿で一服。好い絵、好い写真を見終わったあとの放心は、まったくふくよかな放心だ。
竹橋から東西線に乗れば、高田馬場(古書感謝市開催中)までは一本だが、何とはなしにまた神保町へと舞い戻る。
すずらん通りの湘南堂書店へ行くと、背広姿の先客が、細かい文字のびっしり書き込まれた手帳を広げてエロホンを物色しておられた。
手控えと照らし合わせながら古本を漁る光景は、即売展ではよく見かける。しかしエロホンとなると珍しい。
私が携帯するエロホン・メモは、ほんの紙片1枚の貧弱なものだが、氏の、見るからに使い込まれた黒い手帳は、1冊すべてが桃色の探求録なのだろうか。
何事も、究めるということはそういうことなのかもしれないと、感銘を受けた。
ミロンガで珈琲。すっかり日も落ちたが、もう少し歩きたい。
古書モールから三省堂古書館へ。東成社のユーモア小説全集が3冊並んでいて、『博士と三味線』『へのへのもへじ』『東京のお嬢さん』、心躍るが各冊とも3000円では手が出せない。
羊頭書房でヴァレリー『ムッシュー・テスト』(岩波文庫)250円、これで仕上げにしようと決めかけて、棚のてっぺんに目をやると、やなせ・たかし画集『虹と薔薇』(サンリオ)があった。売価、2000円。
1日の終わりに、買おうか買うまいか迷うような本と対面してしまったらどうする?
買ってしまえばよいのじゃないか。
【2023年2月追記】麻生三郎/鈴木清
画家の麻生三郎【あそう・さぶろう、1913(大正2)-2000(平成13)】は東京都京橋区(現在の中央区)の生まれです。
太平洋美術学校で学んだのちに、豊島区長崎のアトリエ村の住人となりました。詩人の小熊秀雄が池袋モンパルナスと称した一帯です。
戦中の1943年には、松本竣介や靉光など8人で新人画会を結成しています。
戦後は新人画会の同人と共に自由美術家協会に参加。世田谷の三軒茶屋にアトリエを構え、武蔵野美術学校(のちに武蔵野美術大学と改称)で教鞭をとります。
野間宏、井上光晴、椎名麟三などの著書の装幀も手がけています。
1938年に渡欧。戦況の悪化により、約半年の滞在で帰国しますが、このときの体験を綴ったものが『イタリア紀行』です。1943年に越後屋書房より刊行されました。
その他、麻生三郎には以下の著書があります。
『麻生三郎デッサン集』(南天子画廊/1973)
『絵そして人、時』(中央公論美術出版/1986)*新装版/1994
『いまのいま』詩文集(中央公論美術出版/2004)
『麻生三郎全油彩』麻生マユ編(中央公論美術出版/2007)
また美術展の図録には、『麻生三郎のデッサン』(神奈川県立近代美術館/1997)、『麻生三郎展』(東京国立近代美術館/2010)、『麻生三郎の装幀・挿画展』(神奈川県立近代美術館/2014)などがあります。
さて、美術展の展示品として接した『イタリア紀行』ですが、時を隔てて2022年6月、東京古書会館の城南展で入手しました。
探求を始めてから11年半後です。時間が掛かり過ぎています。
あらゆる手段を尽くせばもっと早くに見つかっていたのでしょう。
しかし何の手段をとらなくても、ただ歩きまわっているだけでも、見つかる本というものは、いつかは見つかるということのようです。
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写真家の鈴木清【すずき・きよし、1943(昭和18)-2000(平成12)】は福島県石城郡好間村(現在のいわき市)の生まれです。
生前、8冊の写真集を発表しています。
『流れの歌』(1972)
『ブラーマンの光』(Sansara Books/1976)
『天幕の街』(遊幻舎/1982)
『夢の走り』(Ocean Books/1988)
『愚者の船』(アイピーシー/1991)
『天地戯場』(タマン・サリブックス/1992)
『修羅の圏』(でく・ぶっくす/1994)
『デュラスの領土』(G・サーガルブックス/1998)
以上の8冊なのですが、『愚者の船』以外の7冊はすべて私家版(自費出版)です。
最初の作品集『流れの歌』は、白水社より2010年に復刻版が刊行されていますが、元版はいずれも稀覯書で、古書価は数万円、ときには10万円を超えることもあるようです。
さすがにこうなると、ただ歩きまわっているだけでは、なす術がありません。