【2010年12月11日/2023年2月追記】杉並書友会からブロードウェイを経て古書感謝市、『山の本屋の日記』

【2010年12月11日】
西部古書会館、杉並書友会。
チロル帽というのだったか、羽根飾りのついた帽子、それをいつもかぶって、髭面で、温厚そうで、茶色い紙巻き煙草を嗜好される。
朝一番の即売展で必ずお見かけするご常連のお一人なのだが、今日、そのチロルさんが車庫会場から選び取った本をふと見たら、『秩父』と『丹沢』の山岳ガイドだった。
ああ、やっぱり。かねてから古書会館よりは山小屋が似合いそうだと見受けらたし、きっと月夜の座興にはヨーデルなんかを披露されるのではないか、と。
私の今日の車庫本はハヤカワSF、リチャード・マティスン『吸血鬼』200円。
室内会場に入って、井上長三郎『画論集』(中央公論事業出版)2000円。昨日、近代美術館で麻生三郎展を観て来たばかりだが、井上長三郎は麻生三郎らと共に新人画会を結成した仲間の一人だ。
ほんの偶然に過ぎない連鎖なのだろうが、これも古本の神秘のひとつなのか、私の体内で、私の知らない声と声とが呼び合っているような不思議な感覚がする。少々値は張るがためらうわけにはゆかない。
続いて、赤堀峯吉の『赤堀西洋料理法』(大倉書店)300円。赤堀峯吉の名は、以前買った『即席惣菜料理』の共著者の一人として見覚えがあった。実際に料理するわけではないのだが、昭和3年の西洋料理、興味深い。
ぶっくす丈の棚から、昭和5年の『諸国女ばなし』武田正憲(塩川書房)1200円と、現代カメラ新書の『どうぶつ園写真教室』津嶋九仁香、300円。
計5冊で4000円。

井上長三郎「画論集」表紙
『画論集』井上長三郎(中央公論事業出版/昭和54)

都丸支店の店頭棚より『フーテン通勤日記』泉大八(講談社ロマンブックス)と、『写真』名取洋之助監修(岩波写真文庫)。100円、100円。
店内の帳場の机に、先程の杉並書友会の目録が置いてあったのでうれしく頂戴する。会場ではすでに在庫切れで配布はしていなかった。
天気の良い日は歩いて中野。
ブロードウェイのまんだらけは、3階にも4階にも、白水社が先月刊行したばかりの復刻版鈴木清写真集『流れの歌』を陳列。どちらの店舗も値段は4200円で、新刊書を仕入れたにしては定価より600円ほど安い。早くも古本として買い入れたのだろうか。
4階ではさらに、元版の『流れの歌』(1972年刊)まで並べてあるのだから、まんだらけの古書鉱脈は底無しだ。それにしても10万5千円とは……。
先日見かけた『芸術の原型』は売れてしまった模様。まんだらけ、買物ナシ。

高田馬場の古書感謝市へ。
『山の本屋の日記』小林靜生、外函の背文字が濡羽のように黒くつやめいて、本棚の中でくっきりと際立っていた。
目次を見ると、著者は古本屋の店主のようだ。略歴が載っていないので、何というお店の御主人なのか、店名は判らない。鹿鳴荘の刊行で900円。
その1冊を持って会計にゆくと、当番の店主さんが「あれ、シズオさん、こんな本を出したんだ」と独り言をつぶやく。折角なので、何というお店なのか、言を継いで尋ねてみた。
「小林書店。もう本屋はやめちゃった、山はやっているけどね」
古本屋から離れて、現在は山岳協会の重鎮でもあるらしい。
「シズオさん、何やっているのかなあ、ま、山に居るだろうね」
その店主さんにとって、シズオさんは山に登りっぱなしのような口振りだ。
小林書店がどこにあったのかを訊くと、「たしかトーブだったかな」とのご返事。
トーブとは、たぶん東京古書組合東部支部のことだろう。

最後はささま書店。
店頭均一棚で、乾信一郎『おかしなネコの物語』(ハヤカワ文庫)105円。
店内の文庫棚からツヴェタン・トドロフ『幻想文学論序説』(創元ライブラリ)630円。
名前は聞いたことがあったが初めてその現物に接したEDI叢書の『山下三郎四篇』840円。
手が届かなかったのは、まつやまふみお『柳瀬正夢』5250円。

家に戻って、1994年刊の『【新版】古書店地図帖』(図書新聞)を広げると、江戸川区西小岩に、山岳書が主要品目の小林書店が載っていた。

【2023年2月追記】穂高書房御主人/小林書店
この日からしばらく経った後日、チロル帽のチロルさんは「穂高書房」の御主人であるということが判明しました。
やはり即売展の会場で、チロルさんと他のお客さんとの会話を耳にしたのですが、話の内容からするとどうやらチロルさんは古本屋の御主人らしく、また「ホタカさん」と呼ばれていたことから、穂高書房とつながりました。
穂高書房は阿佐ヶ谷の古本屋さんです。
山岳書が専門のお店ですから、あの、いかにも山男という風貌と、ぴったり一致します。
『全国古本屋地図』2000年版(日本古書通信社)の穂高書房の欄には、
《店主自身が、登山家かつ本のコレクター。趣味が嵩じて、山岳書専門の古本屋になった》
と、記されています。
即売展には、古本屋の店主さんが仕入れの一環として本を買い求めに来ることがありますが、穂高さんもその一人だったようです。
2019年の春ごろからだったでしょうか、即売展会場に穂高さんの姿をお見かけしなくなり、そうして夏の終わり、ご常連さん同士の立ち話を耳にして、穂高さんがお亡くなりになったことや、穂高書房が閉店したことを知りました。
他人の話を、私は横から立ち聞きしてばかりいますが、即売展の会場では、そのつもりはなくても、どこからともなくあれやこれやの会話が聞こえてきますから、つい聞き入ってしまいます。
そうやって、古本屋さんの消息を知り得たことは数知れません。
穂高書房の御主人とは、ただのいちども、面と向かって話をしたことはありませんし、いつも古本の向こう側に眺めているだけでしたが、即売展の名物男と言えるような人が会場に現われないというのは、やはり寂しいものでした。
それからまたしばらく日が過ぎると、山岳書をまとめて即売展に出品するお店をいくつか見かけました。そのたびに、これらはもしかしたら穂高さんの旧蔵書だったのかもしれない、と思いました。
  ◇
西小岩の「小林書店」は、2000年版『全国古本屋地図』では以下のように記されています。
《山岳書専門店で、一昨年より店頭販売はやめて、通販専門に移行。同時に執筆に力を入れている》
その10年後、2010年10月に発行された『古本屋名簿―古通手帖2011』(日本古書通信社)には、小林書店は掲載されていません。
たいへん大雑把にしか分かりませんが、2000年から2010年のあいだに、閉店となったようです。
小林靜生氏には『山の本屋の日記』のほかに、『山の本屋の手帖』(鹿鳴荘/1996)という著書もあります。
また、昭和61年から平成2年にかけて全10号が発行された雑誌『古本屋』(青木書店)に、編集人として携わっています。
1974年に刊行された『東京古書組合五十年史』では、編集責任を務めておられます。

小林靜生「山の本屋の日記」表紙
『山の本屋の日記』小林靜生(鹿鳴荘/昭和63)本体表紙
「山の本屋の日記」外函背表紙
『山の本屋の日記』外函背表紙