【2010年4月23日】
駿河台下の交差点を渡ると、早くも古書会館のほうから古本の包みをさげた紳士がやってくる。10時を過ぎたばかりだというのに、ずいぶん早業だ。
東京古書会館、書窓展。
いちばん奥の棚にコバルト叢書が幾冊か並んでいた。例の如く、すでに持っているのかそうでないのか、思い出せない。思い出そうとして思い出せるわけではない。
無闇に頭をひねっていると、私の前に7、8冊の本の束がどさりと置かれる。誰かが確保している本だろうから手を触れないように、なおも頭をひねっていたのだが、いつまで経ってもその本の束はそこにある。確保しているわけではなく、ただ邪魔になって動かしただけのようだった。
何気なく視線をやると、その7、8冊のいちばん上の本は大庭柯公の『ペンの踊』だ。おや! 書物のほうから飛び込んでくるとは。
どなたかは存じませぬが、私の前に『ペンの踊』(大阪屋号書店)1500円を運んでくださった御仁には感謝申し上げます。
それで気分もよくなったので、『完全なる夫婦』高田義一郎、『人妻の教養』式場隆三郎、『男女の科学』『妻の生理学』竹村文祥、コバルト叢書はまとめて引き取ることにする。各200円。
さらに『とかく浮世は』瀬戸口寅雄編(あまとりあ社)200円、『内外新聞史』小野秀雄(日本新聞協会新聞文庫)400円、『肉体の火山』式場隆三郎(山雅房)300円、金子光晴宛の署名が入った『焼酎詩集』及川均(日本未来派発行所)300円、『プーサン第一集』横山泰三(八興)300円。
今回の11冊の買物のうち10冊までが、あきつ書店の棚だった。残りの1冊は『編輯者の手帖』雑司十郎(蒼生社)900円。
再び駿河台下交差点を渡り、三茶書房の店頭台を覗くと『南島の希書を求めて―沖縄古書店めぐり―』という魅力的な郷土誌を発見。桑原守也・小西勝広・佐藤善五郎、三名の共著。根元書房刊、500円。
会計ついでに店内の棚も見て、並木明日雄『恵露寿秘文』(松雪詩社)、これはカラーブックス『珍本古書』に紹介されていた詩集だ。正確には『珍本古書』に載っていたのは特装版で、今あるのは並版なのだが、それにしても限定100部のうちの1冊なのだから、まあまあ珍しいのではないのだろうか。
外函に巻きつけた紙には1000円の表示。しかし本体を取り出して裏表紙をめくってみると1300円の値札が貼ってある。
帳場へ持ってゆくと御主人は、両方の価格を見較べて、
「あ、間違えました」
と、おっしゃる。1300円が本来の価格のようだ。
「でも1000円で結構です。商売ってのはそんなものです、ええ、それをやったらね、信用をなくすんです」
安いほうの値段で買えたことは勿論うれしいけれど、それよりも、こういう気骨のある言葉とじかに接したことが、格段にうれしい。ほんとうに、古本屋は学校だ、と思う。
神保町はしっとりと小糠雨。傘をさすほどではないが、田村書店や巌松堂や、軒庇を持たない古本屋は店頭販売を休んでいる。小宮山書店のガレージだけを簡単にながめて、つぎは五反田へ。
南部古書会館、五反田アートブックバザール。
いつもは特価品があふれるガレージにはシャッターが下りていて、遊古会や散歩展とは趣きが異なる。会場は2階のみのようだ。
2階に上がると、書棚もゆったりとした配置に並べてあって、画集や図録が表紙をこちらに向けて陳列してある。芸術青年という風貌の若者が3、4人。正午を過ぎているとはいえ、初日にしてはひっそり。
アートブックなのだから、100円200円の雑本が見当たらないのは仕方がないが、それでも棚の余白を埋めるように美術以外の古本も並んでいた。渋沢秀雄『宴会哲学』(文藝春秋新社)を見つける、300円。
居並ぶ高額品を眼の保養のつもりで鑑賞していると『気まぐれ美術館洲之内コレクション展』の図録(茨城県近代美術館)が2500円。これなら買えそうだ。
常田書店の棚で『マヤコフスキー選集』全3冊。いつだったか高円寺で見かけたときは2100円だったけれど、こちらは……1500円。それでは買おう。
同じ棚の上段、裸女のデッサンのみを配した表紙の本が目にとまる。題名も著者名も記していない。手にとって表紙をめくると、ああ、これが山名文夫展の図録だったのか。
目録で見かけたことはあるけれど、結構な値段がついていたはずだ。さてどうだろう。3500円。
今、手に持っている本の値段を(必死に)暗算する、300円也、2500円也、1500円也、そして加えることの3500円也。
財布を見る。足りない。淋しい財布だ。
3500円は元に戻して、床に積んであった『こどものとも』をごそごそと掻き回しながら頭の中では、買う、買わない、買う、買わない……この状態に突入したときは、もう大勢は決しているのである。
改めて『山名文夫展』(目黒区美術館)を一緒に抱え、帳場で取置きを願う。
外へ出て、当てずっぽうに大通りのほうへ走ったら、すぐに三井住友銀行が見つかった。いつも肝心なときに三井住友銀行は見つからなくて苦労するのだが、古本のためとなると、勘が冴えるということなのだろうか。急いで会館に戻って先ほど預けた6冊を購入する。
1回の買物としては今までの即売展で最大の出費となった。予定外だが、しかし爽快なんだ。
帰りがけ、池ノ上で途中下車して文紀堂書店に寄道。調子に乗って『女のシリ・シンフォニー』3000円に手を出しそうになるが、さすがに思いとどまった。
2010年4月23日 今日の1冊
*五反田アートブックバザール/南部古書会館
『山名文夫展』図録(目黒区美術館/1998)3500円
【2022年12月追記】
当時、初心者の私は認識していませんでしたが、書窓展に参加する「あきつ書店」は、近代日本文学を専門に扱う名店です(事務所営業のみで店舗販売は行なっていません)。
書窓展では、明治、大正、昭和初期といった時代の本を、びっくりするような廉価で、どんどん放出してくれます。のちに実見することになりますが、初日の朝一番は勇ましい争奪戦が繰りひろげられます。その人気のほどは、趣味展の「扶桑書房」と共に、即売展の両雄と言っても過言ではないでしょう。
「書窓展」は年6回の開催です(2022年は2、4、6、9、12月)。
なお、あきつ書店は書窓展のほかに10月の「特選古書即売展」にも参加しています。
「三茶書房」は、神田神保町1丁目1番地の古本屋さん。
現在、ビル建て替え工事中の三省堂書店神保町本店の隣りに店舗を構えます。
屋号が示すとおり、元々は三軒茶屋の地で開業しました。
古書即売展や古本まつりへの参加はなく、店売りを質実につづける老舗です。
店頭のショーウインドウには横積みにされた文学全集がそびえ、その脇を季節のお花が飾ります。
1階の面積は広くはありませんが、文学、作家研究などが端整に並び、格調の高い書棚です。
店舗2階では、稀覯本、肉筆原稿、歴史文献などを扱っているそうですが、私は2階へ上がったことはありません。いつも、店内の階段の下から、おそるおそる見上げてみるばかりです。
南部古書会館「五反田アートブックバザール」は、2008年10月に登場した即売展。
春と秋、1年に2回の開催を続けていましたが、2016年4月の第16回をもって終了となりました。