【2011年3月11日】
東京古書会館、城南展。
『モダン・デザインの展開』ニコラス・ペヴスナー(みすず書房)400円、『ささくれた風景』つげ忠男(日本文芸社)600円、購入2冊。
三省堂書店本店隣りの第2アネックスビル4階では、先月まで三省堂古書館だった店舗跡をそのまま利用して、春の古書市を開催していた(三省堂古書館は今月から本店ビル4階に移転)。
『銃後の花ちゃん』滝田ゆう(小学館文庫)400円、『ふぐ大学』北濱喜一(カラーブックス)500円、『夢の交響楽』堀内敬三(草原書房)300円、『男娼の森』角達也(日比谷出版社)1000円、購入4冊。
田村書店の店頭で『うまいもの事典』辻静雄(光文社文庫)100円、小宮山書店ガレージセールで『SF相対論入門』石原藤夫(講談社ブルーバックス)100円。
ミロンガで珈琲。
引き続き店頭棚に沿って古書店街を進む。
神保町交差点を渡り、神田古書センターの店頭(今日の担当は、みわ書房)で物色しているさなかに地震が起こる。
平台の上に載せた本箱が揺れているので、誰かが後ろから寄り掛かったのかと最初は思った。それにしては周りには誰もいないし、おかしなこともあるものだと思い、そこでようやく、地震か、と気がついた。
すぐに収まるのだろうと、そのまま本を見ていたのだが収まらない。店番のご主人が両手で棚を押さえて転倒を防ぐ。私も棚を押さえる。まだ揺れる。さらに底力を加えた横揺れが続き、立っているのがやっと。紐で束ねた揃いの本が路上に転がり落ちる。
どれくらい揺れたのだろう。ようやく地面が動かなくなった。待ちかねたように一人の紳士が1冊買って行った。何があっても欲しい本は手放さないという執念だ。ご主人はきょとんとした様子で代金を受け取っていた。
ほどなくして余震。これもかなり大きい。さっきは持ちこたえていた台上の本箱がいくつか、ごとりと倒れる。
二度目の揺れが収まると、古書センターの上階から、頓狂な声をあげながら、若者が3、4人降りてきた。
私はまだ半分ばかりの棚を見残していたので、転がった本や箱を拾い集めながらついでに眺めていたのだが、ご主人は店員さんと一緒に平台を片づけ始めた。営業はここまでのようだ。まあ、仕方ない。
今日はこのあと、新宿サブナードの古本浪漫洲を覗いてみるつもりであったのだが、それも駄目だろう。
とりあえずいつものとおり、@ワンダーに向かって歩く。身体の軸はまだ動揺しているのか、変にぐらぐらする足取りで。
矢口書店、古賀書店、澤口書店、日本特価書籍などは普通に営業。山陽堂書店は崩れた本が店内通路の半分ほどを埋めていた。
@ワンダー、店内の様子は判らないが、外壁の店頭棚は特に異常なし。ふたたび駿河台下へと引き返す。
田村書店と小宮山書店は店を閉めていた。八木書店、店内に本が散乱。三茶書房、ショーウィンドウに積み上げた全集が崩落。
1軒ずつ観察したわけではないので、他の店がどういう状況だったのか詳しくは思い出せないが、風月洞書店や文庫川村のようにまったく平常通りに夕方まで営業していたところもあり、影響の度合いは、お店によってまちまちのようであった。
ざっと見た限りでは、書籍の崩落の多くは横積みにした全集類のようで、棚そのものや、棚に挿した本はおおよそ無事のようだった。但し、建物の上階にある店舗については不明。後になって、小宮山書店2階の文庫棚が斜めに倒れているのが、道路の向こう側からも窓越しにはっきり確認できた。
新刊書店では、三省堂書店、書泉グランデ、東京堂書店、いずれも早々に休店。
ラドリオ、外壁の煉瓦が半壊。
御茶ノ水駅に様子を見に行くと、改札は閉鎖されており、電車はしばらく動きそうにない。
また戻り、古書会館で御手洗いを拝借。地下の城南展は開催を続けていて、会場を覗くと、まだ結構な客数だ。
1階に貼り出された速報によると、東京都心は震度6弱。東北ではかなり大きな津波が発生したらしい。
会館近くの八木書店(卸専門)の店先に公衆電話があったので、3人ほど待って自宅に電話。家族、無事。
私の部屋の古本は崩落した模様。公衆電話はこの先、どこもかしこも素晴らしい行列となる。
三省堂書店すずらん通り側の灰皿広場で一服。余震あり。
向かいのカラオケ屋の店先に街頭テレビがあって、人の輪ができている。仙台空港に押し寄せる津波や、市原の石油コンビナートの火災が、繰り返し映し出される。首都圏の交通は完全に麻痺しているらしい。
さて。神保町交差点の近くの富士屋ストアで水とポテトチップスを買った。カップ麺、弁当、パンはあっというまの品切れだ。
さっき御茶ノ水の駅前交番で「北の丸公園が指定避難場所です……」なんていうことを言っていたので、とりあえず九段に向かって歩く。夕方5時を過ぎると、ヘルメットをかぶった会社帰りの人たちで歩道はぎっしり。道路の渋滞もいよいよひどく、時折、その自動車のごちゃごちゃをこじあけるようにして、消防や警察の車輛が走る。
道すがら、市ヶ谷か新宿まで、いっそ家まで徒歩で帰ろうかと、考えないでもなかったが、この人ごみだし風は冷たいし、あるいはだだっ広い公園でじっとするのも何だか心細いしで、一応は武道館の入口まで坂を上がってみたものの、北の丸公園には行かず、やっぱり神保町へと引き返す。
救世軍本営が休憩所を提供してくれていたので、椅子に腰かけて1時間ほどぼんやりする。熱いお茶まで振舞ってくださる。有難い。
都営バスが運行を再開したという情報が入るが、さっき、九段下のバス停は長蛇の列だった。今更、急用があるわけでもない人間が混雑に輪をかけることもあるまい。
そうすると、他にすることと言えば、腹も減ってきたことだし、お酒を呑むことの他に何ひとつ思い当たらない。
居酒屋は営業しているところが多く、そしてどのお店も、帰りそびれた人々で思わぬ盛況を呈しているようであった。
すずらん通り、キントト文庫の隣りの浅草厨房に空席があった。熱燗、ああうまい!
そう言えば、神保町でお酒を呑むのは今夜が初めてだ。調理場はてんてこ舞いの忙しさでなかなかつまみの注文ができないけれど、それはいいのだ、ゆっくり呑むのだ。横の席から会話が聞こえてくる。
「どうせ帰れないから、これから水道橋へアソビに行こう」
「余震じゃなくて余チンだな」
白波のお湯割りが3杯目になるころ、こちらもすっかりとろとろで、このままずっと電車が動かなければ、ずっと神保町に居られるな、などと暢気に浮かれる。10時半まで呑む。
それからいつもの調子で次の店を探してみたが、どこも満員だった。
酒場はあきらめて、夜を明かす場所を探す。ふたたび御茶ノ水駅へ行き駅前交番で尋ねると、明治大学のリバティタワーが開放されているとのこと。もちろんその前に、セブンイレブンでニッカのポケット壜を入手しておいた。リバティタワーは暖房もテレビも完備、講堂の椅子は満席のようだったが、階段や廊下にいくらでも寝場所がある。一夜の仮宿にしてはちょっと贅沢すぎるくらいだ。ほんとうに有難い。
階段の一隅に腰を下ろし、ウイスキーをこくりと呑みながら五反田遊古会の目録をめくる。
日が変わり、零時半頃だったろうか、都営新宿線と京王線が運転再開と館内放送が流れた。やや後ろ髪をひかれつつ、しかし帰れるならば帰ることにする。
神保町駅のプラットホームにつづく通路は、初詣の参道のような人波だった。ひとつ電車を見送って、次の電車になんとか乗り込む。
午前2時過ぎ、帰宅。焼酎を少し呑みなおし、崩れた本の山を片づける。朝6時就寝、ひたすら眠る。
【2023年3月追記】
東日本大震災当日の神保町の様子です。
正確な記録というわけではなく、あくまでも印象記に過ぎません。
記しておくべきことは、ほかにもたくさんあったはずですし、また見間違いや思い違いなど、事実とは異なる記述も多々あると思われます。ご容赦ください。
何が起こっているのか、それを知るのは街頭テレビのニュース映像が唯一の手立てというような状況でした。津波により多くの方々が犠牲になられたことや原子力発電所の大事故はまだまったく知らず、この日の時点では、石油コンビナートの火事が、最も大きな災害であるかと思われました。
いささか暢気に過ぎるようでもありますが、そうするよりほかにどうしようもないと言ったような、当日のありのままの心情です。
北の丸公園に行くのをやめて引き返し、神保町へ戻ってきたときには、心の底からほっとしました。