【2011年9月10日】
趣味展。
土曜日の東京古書会館の、客もまばらな朝10時、扶桑書房の棚に赴けば落ち穂がひとつ、武野藤介の戦前のコント集『不正乗客』(民族社/昭和14)800円、のんびり拾う。
紅谷書店の棚からは新書判『女は女』小倉清太郎(妙義出版/昭和31)150円を拾い、それからしばらく歩くと、また小倉清太郎の、今度は『女の裏窓』が現われる。しかし中身を見ると『女は女』と『女の裏窓』の内容はまったく同一で、発行年からすると『女は女』のほうが元版のようだ。
同じ内容の本が2冊あっても仕方がないし、題名の魅力では『女の裏窓』に軍配が上がるようだが、元版を尊重して『女は女』を取る。
田村書店の店頭で『神の裁きと訣別するために』A・アルトー(河出文庫/2006)100円、『ある女のグリンプス』冥王まさ子(講談社文芸文庫/1999)200円、『森の小道・二人の姉妹』シュティフター(岩波文庫/2003)200円、文庫本を3冊と、雑誌『本』No.5の三好達治追悼号(麦書房/昭和39年6月)200円、計4冊を購入。『本』の発行所の麦書房は古本屋のようで、巻末には古書販売目録も載っている。
小宮山書店のガレージセールでは『イギリスだより』カレル・チャペック(ちくま文庫/2007)100円。
今朝は食欲もなく、ひたすら水だけを呑んだのだが、正午に近く、ようやく昨夜の残酔もほどけてきたのか、腹が鳴る。
古書店街の店頭をぶらぶら眺めながら、山陽堂の先の吉野家へ。何年ぶりかで吉野家の牛丼を喰った。
御茶ノ水から中央線に乗って高円寺へ移動。
西部古書会館、大均一祭。
こちらは今日が初日なので、本来ならここを先に訪れるべきなのだろうが、朝一番の混雑を思うと億劫で午後にまわした。
たしかに揉み合うほどの混雑は避けられた。しかしそれだけ書架には隙間が目立ち、会場を2周3周すれど落ち穂は拾えず。手ぶらでの退散となる。
【2023年5月追記】麦書房
東京古書会館の即売展はほとんどが金曜土曜の2日間。
いちばん混み合うのは初日金曜の朝一番(午前10時)から午前中です。
2日目の土曜日になると朝一番でもだいぶのんびりした雰囲気になります。
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雑誌『本』発行所の「麦書房」は、世田谷区代田にあった古本屋です。
『本』は、昭和39年から41年にかけて、全24冊が刊行されました。店主の堀内達夫氏が自ら編集しています。
堀内氏には、吉田熈生との共編著『書誌小林秀雄』(図書新聞社/1967)があるほか、『中原中也全集別巻』(角川書店/1971)や『津村信夫全集第3巻』(角川書店/1974)でも書誌を担当しています。
また麦書房は立原道造『ゆふすげびとの歌』覆刻版を1980年に出版しています。
出版や書誌研究を精力的に行なっていた古本屋さんでした。むしろ後年は古本販売のほうがお留守になっていたという話もあります。
1992年に堀内達夫氏が逝去されたのちは、奥様が店を受け継ぎ、愛知県豊橋に移転して営業を続けました。『全国古本屋地図21世紀版』(日本古書通信社/2001)に以下の記述が見られます。
《詩書専門として知られ書誌的な業績も多い麦書房(豊橋市内張町二-二四)主・堀内達夫氏が亡くなられた後、仕事は奥様が続けて頑張っている。通販のみ》
現在、麦書房を「日本の古本屋」の古書店検索で調べると、『全国古本屋地図』の記載と同じ豊橋市内張町2-24が所在地となっており、東三河古書籍商組合に所属していることが分かります。
代表者名は堀内圭氏です。ご子息かあるいはご親族が代を継いでいるのかと思われますが、営業時間など書店情報の記載が一切なく、営業しているのかどうかも含めて詳細は不明です。
なお堀内達夫氏については、山下武『古書のざわめき』(青弓社/1993)のなかに「麦書房店主・堀内達夫氏を悼しむ」、青木正美『古本屋群雄伝』(ちくま文庫/2008)のなかに「出版も手がけた古本屋/麦書房・堀内達夫」という文章が収録されています。
参考
*sumus_co「麦書房『本』など」/〈daily-sumus/2013年2月26日〉
*sumus2013「開店いたしました!」/〈daily-sumus2/2017年7月25日〉
〔以上「2023年5月追記」ですが、公開時の文章に重大な事実誤認があったため、当該箇所の削除および訂正を施しました。当初、麦書房店主の堀内達夫氏と、詩人の堀内幸枝氏を、夫妻だと思い込んで文章を書いてしまいました。お恥ずかしいかぎりです。2023年12月16日〕