【2012年1月14日/2023年8月追記】西部古書会館の古本ワンダーランドで『多田北烏とその仕事』

【2012年1月14日】
朝9時半、高円寺の西部古書会館。
門前に人影が無いと思ったら、会館の向かいの駐車場に、皆さん、わずかな日溜まりを求めて、じっと置石みたいになっていた。日向の隅にお邪魔して、私も置石になる。
ガレージに今日の古本が並び始めると、置石はごろごろと転がって門扉にへばりつく。
第2回古本ワンダーランド。そのガレージの百円均一にカラーブックス『珍本古書』が2冊……と見るまもなく、2冊まとめて引き抜く辣腕あり。『珍本古書』はもう持っているから、まあ穏やかに先輩のお手並みを拝見していたんだけれど、もし持っていなかったらここは半ベソだ。
10時になって室内に入ると、所々に半額品が混ざっており、『ノンキ節ものがたり』添田知道(青友書房/昭和48)500円、『食いしんぼ気車の旅』藤野英夫(観光交通研究会/昭和37/改訂増補)370円、この2冊は元値の半額で手に入った。

藤野英夫「食いしんぼ気車の旅」表紙
『食いしんぼ気車の旅』藤野英夫
(観光交通研究会/昭和37/改訂増補)

それからシュペルヴィエル詩集『帆船のように』(国文社/昭和60)1000円。
価格2000円に迷ったのは多田北烏展の図録。多田北烏は初めて目にする名前だけれど、図録の表紙を飾るキリンビールのポスターが魂の襞々ひだひだを刺戟する。
しかし根気よく探せば500円で見つかりそうな薄手の図録ではあるけれど、こういう中綴じの冊子は、しかも地方の美術館の刊行物となれば、いざ見つけようとしたときに、金額では換算できない骨折りが待ち構えているのではなかったか?
『多田北烏とその仕事』図録(宇都宮美術館/2004)2000円、ぐずぐず言わずに買うことにして計4冊。今日の4冊はすべてParadis(パラディ)というお店の出品だった。古本ワンダーランドを主催しているのもパラディのようだ。

「多田北烏とその仕事」図録表紙
『多田北烏とその仕事』(宇都宮美術館/2004)

喫茶ネルケンにて『多田北烏とその仕事』をめくってみると……岡本一平や宍戸左行らとともに作品を収めた『漫画広告創作集』(昭和3)、数字と挿絵のみで文字が一切ないという特徴に加え、「国語」に続いて日本で初めてカラー印刷されたという画期的な教科書『尋常小学算術・第一学年児童用』上巻(昭和10)、その教科書について画家自ら述べた『尋一算術書の絵を語る』(昭和10)……未知なる人物をほんのちょっと尋ねただけで、そこからイモヅル式に欲しい本が増えてゆく。

《古本ワンダーランド》Vol.2/チラシ兼文庫カバー

【2023年8月追記】多田北烏
多田北烏【ただ・ほくう、1889(明治22)-1948(昭和23)】は商業美術家です。
長野県松本市に生まれました。本名は嘉寿計(かすけ)。
大正から昭和初期にかけて活躍し、ポスターや雑誌の表紙など、数多くの作品を手がけています。
また1922年(大正11)には「サン・スタジオ」を設立し後進の育成に尽力して功績を残したほか、1929年(昭和4)には自らが中心となって「実用版画美術協会」を結成しています。
終戦後の1948年(昭和23)、疎開先の沼津で亡くなりました。享年59歳。
キリンビールのポスター作品では、モダンガールを描いたりしたいわゆる美人画が多いのですが、なかには工場の煙突を背にした労働者や背広姿のサラリーマン(『多田北烏とその仕事』の表紙)など、女性だけでなく男性も描かれます。
居酒屋へ行くと時折、昔のビール会社のポスターの復刻版が貼り出してあることがあります。キリンビールの復刻ポスターがあるのかどうかは不明なのですが、もしかしたら、知らずしらずのうちに北烏のポスターを目にしているかもしれません。
北烏が挿絵を担当した『尋常小学算術・第一学年児童用』上巻は、日本で初めてカラー印刷を採用した教科書のひとつです。
1935年(昭和10)から1940年(昭和15)にかけて使用された第4次国定教科書なのだそうです。
数字のほかに文字は使われていません。雀や玉入れの玉や風船など、身のまわりの物を描いて数の概念を鮮やかに示し、その構成と配色の妙は、我が国にこんなうつくしい教科書が存在していたのかと驚かされます。
この教科書で勉強していれば、算数嫌いにならずに済んだ……かどうかは自信がありませんけれども、当時の尋常小学校一年生がほんとうにうらやましい。
『尋常小学算術』は後年に復刻版が刊行されています。復刻版の教科書は、古本では割合によく見かけます。
もう少しこまめに探せば、戦前の元版を見つけるのも、それほど困難ではないと思います。即売展や古本まつりで昔の教科書を出品する古本屋さんは結構あります。1000円前後で見つかるのではないでしょうか。
『尋常小学算術』の第1学年から第6学年まで、すべての挿絵は北烏が手がけたのだそうですが、もっとも魅力的なのは、やはり文字の無い、第一学年上巻ということになりそうです。
『多田北烏とその仕事』は2004年に宇都宮美術館で開催された展覧会の図録です。
B5判よりやや大きく、わずか42ページという大学ノートのような薄い冊子ですが、北烏の全体像を知るにはたいへん重宝します。
さかのぼって1984年には武蔵野美術大学美術資料図書館で「ポスターデザインの先駆者多田北烏とその周辺展」という展覧会が開かれており、図録も発行されているのですが、この図録には未だ接しません。
宇都宮美術館の展覧会からすでに20年近くが経っており、『多田北烏とその仕事』も案外と出回らないようでもありますから、そろそろ、どこか多田北烏の回顧展を企画してくださらないか、決定版と言えるような図録を作成してくださらないかと、願わずにはいられません。
  ◇
今少し書き加えますと――
上垣渉・阿部紀子共著『『尋常小学算術』と多田北烏』という興味深い研究書が2014年に風間書房から出版されています。
じつはこの本の存在を知ったのはごく最近というありさまで、私はまだ手にとったことがありません。
多田北烏の著書『尋一算術書の絵を語る』(モナス/昭和10)は過去にいちどだけ古書目録で見かけました。販売価格1万円に尻込みしてしまったわけなのですが、以後、まったく出くわさず、最初で最後の機会を逃したのだとしたら今更ながらがっかりです。
多田北烏の「烏」は「からす」なのですけれど、見た目が「鳥(とり)」と紛らわしく、誤記も散見されるようです。
古書組合の公式サイト「日本の古本屋」やその他の通販・オークションサイトなどで多田北烏の在庫を調べる際には、念のため「多田北鳥(とり)」でも検索してみるとよいかもしれません。

参考
*『多田北烏とその仕事』(宇都宮美術館/2004)