【2012年1月13日】
東京古書会館、愛書会。
まず藝林荘の廉価台から『好色=女のカレンダー』いその・えいたろう(第二書房/昭和45)210円。サブタイトル――ザーメンで綴った女体遍歴集――と言うのだから脳天がツーンと目覚める。綴方にもいろいろな綴方があるものだ。
波多野巌松堂の棚では『汽車時間表』昭和5年10月号/鉄道省編纂(日本旅行協会)2000円。奥付などにその旨の表記は見当たらないが、紙質や状態からしてこれは後年の復刻版だと思われる。樺太、朝鮮、満州、台湾の時刻表も載っている。
史録書房の棚にてあまとりあ社の新書判を3冊。『夜ごとの素肌』戸山一彦(あまとりあ社/昭和36)、『狂い咲く女群』戸山一彦(あまとりあ社/昭和31)、『人妻娼婦』藤田秀弥(あまとりあ社/昭和33)、各500円。
以前、高円寺の青木書店でカバー欠が惜しかった『狂い咲く女群』も、いつだったかの即売展で価格1050円を見送った『夜ごとの素肌』も、これにて落着となった。ささやかに快哉。
どこの棚での出来事だったか、初老の紳士が或る本の裏表紙をめくって、たぶんそこに貼り付けてある書店のシールを見て、「ああ、懐かしいなあ」と、感極まったようにつぶやいておられた。独り言というよりは周囲に訴えかけるような、誰彼となくこの懐旧を分かち合いたいというような声音でもあった。氏が去ったあとに確かめてみると、それは『通信事業五十年史』という大正10年刊の本だったのだが、裏表紙をめくると《神田駿河台・矢尾板》の書店票が貼ってあった。知らない古本屋(?)だ。駿河台のどの辺りで、いつ頃まで営業していたのだろう。そして紳士はどんな青春を、その小さな紙片の向こうに回想していたのだろう。
古書店街では小宮山書店ガレージにて、ドイツの鉄道模型アクセサリーカタログを2冊、『FALLER ’82』と『VOLLMER 79/80』、各100円。
ミロンガに入って、そのカタログをぱらりぱらり。家とか駅舎とか風車小屋とか鉄橋とか。結構飽きない。
それから昭和5年の『汽車時間表』を眺めていると、今日は早めに切り上げて床屋に行くつもりだったのだが、もう少し古本と遊んでいたい。それにちょっと一杯やりたくなった。
九段下から東西線で高田馬場へ出て、BIGBOX古書感謝市。長新太『ブツブツとうさんほらふきノート』(晶文社/昭和50)500円。
さらに東西線で中野へ行き、ブロードウェイを1周。高円寺まで歩いて都丸支店を覗き、ガード下の四文屋へ。古書会館で貰った次週『五反田遊古会』古書販売目録をめくると、いつぞや買いそびれた『古本年鑑』1933年版が出品されていて3000円。3000円か……、逃した魚の悩ましい影。
【2023年7月追記】神田駿河台の矢尾板……?
古本には往々にして、過去に販売していたお店の書店票(店名が入ったシール状の小紙片)がそのまま残存していることがあります。
その本の、来歴を伝えてくれます。
愛書会の会場で「ああ懐かしいな」と紳士がつぶやいた、その懐旧の対象であると思われる《神田駿河台・矢尾板》なのですが、しかし駿河台のどの辺りに、いつ頃まで存在していたお店なのか、判然としません。
手許にあるわずかな資料をあたってみたところ、【1】1970年(昭和45)発行の『古書店地図帖』増補改訂版(図書新聞社)に「矢尾板書店」が載っていました。
ただし、所在地は駿河台ではなく、新宿区早稲田南町33です。主要取扱書目は「歴史・伝記」となっていますが、「店舗なし」の表記があり、店売りは行なっていなかったようです。
【2】1974年(昭和49)東京都古書籍商業協同組合発行『東京古書組合五十年史』の「組合員名簿新宿支部」の欄にも矢尾板書店は載っており、住所は上記『古書店地図帖』と同じく早稲田南町33、取扱書目も同じく「歴史・伝記」です。代表者は、矢尾板斉氏となっています。
さらに【3】2021年発行『東京古書組合百年史』を繙きますと、「過去在籍者名簿」により、新宿支部の矢尾板書店・矢尾板斉氏は1979年(昭和54)に古書組合を脱退していることが分かります。
以降の、1994年発行『【新版】古書店地図帖』(図書新聞社)や1999年発行『全国古本屋地図2000年版』(日本古書通信社)には「矢尾板」の文字は見当たりません。
以上【1】【2】【3】の矢尾板書店は同一店のようですが、果たして《神田駿河台・矢尾板》と同じお店なのかどうか、これだけでは全くつながりません。
2012年に愛書会でお見かけした紳士を、当時60歳から70歳くらいと仮定しますと、その青春時代は、たとえば20歳だとして、1962年(昭和37)から1972年(昭和47)のあいだ。
これらを強引に結びつけるのならば……
A・1960年代、矢尾板書店は駿河台で店舗営業。
B・愛書会の紳士(当時は学生)は同店に通う。
C・60年代後半に矢尾板書店は早稲田南町へ移転。無店舗営業となる。
D・1979年、矢尾板書店閉店。
と、なりますけれど、何の裏付けもありませんし、単なる憶測の域を出ません。
とにかく《神田駿河台・矢尾板》が駿河台のどこにあったのかさえ分からないのですから、調べ方がいかにも手ぬるいと云うところです。
あのとき見た《神田駿河台・矢尾板》……たしかに古書店の書店票だったはずです。
それとも私は屋号を見間違えていて、実際は《駿河台・×××》だったのか、全部間違えて《×××・×××》だったのか。
あるいは、紳士が懐かしがっていたのは書店票ではなく『通信事業五十年史』だったのか。
愛書会の会場に、ほんとうにその紳士は存在していたのか。
こうなるともはや、取りつく島もありません。
ちなみに『通信事業五十年史』はたしかに実在する書物で、1921年(大正10)に逓信省が刊行しています。
いちばん確実なのは、愛書会の紳士を探し出して、直接にお伺いすることなのでしょう。
顔も覚えていないのにどうやって探すかと思いますが、古書会館で辛抱強く待っていれば、再会できないともかぎりません。
長々と煩瑣な記述になりましたが、以上のとおり《神田駿河台・矢尾板》は解明に至らず、中途半端に頓挫しています。
閉店した古本屋さんの消息を、後々になって辿ろうとすると、関係者や研究者でもない一般人にとっては大変困難です。
それは昔の古本屋に限らず、つい数年前まで近所の駅前にあった古本屋を調べようとして、まったく手掛かりが得られず、呆然とすることもあります。
しかしそれも、本と、それを商う人との、免れがたい宿命なのかもしれません。
お店は消え、人は去り、また人が来てお店が生まれ、忘却と更新の、その営みの繰り返しを縫うように、書物は書物として残り続けます。
〈関連日記〉
日記の最後で『古本年鑑』に触れていますが、買いそびれた日は以下をご覧ください。
→【2011年8月28日/2023年4月追記】『古本年鑑』を買い逃す