【2012年1月28日】
西部古書会館、中央線古書展。
ガレージで宮里良保『原子力時代』(東京P・U・C/昭和21)150円。宮里良保は、たしか横田順彌氏の古本随筆で紹介されていたはずで、その名前をメモした記憶がある。
室内ではジャック・ケッチャム『隣の家の少女』(扶桑社ミステリー/2010/30刷)200円、それから珍題番付に登録されそうな『我輩は電気である』竹内時男/岡部操(畝傍書房/昭和17)200円。
霜野二一彦『ツンドラ警備』(鶴書房/昭和17)は、これも横田氏だったか、それとも唐沢俊一氏だったか、以前に読んだ本で記憶にとどめた1冊だ。芳林文庫の出品で2000円。
ぶっくす丈の棚では瀧由之介『ピカソの指』(珊瑚書房/昭和32)150円と、酒井佐和子『山の味里の味』(北辰社/昭和31)100円。『山の味…』には石黒敬七が序文を寄せている。酒井氏の著書では以前に『酒の肴』を買った覚えあり。
会計の際、対応してくれた帳場係の女性が『我輩は電気である』を見て、ぷッと噴き出しそうになっていたような……。
高円寺ガード下、都丸支店の店頭棚より『アンドレ・ブルトン集成』第6巻(人文書院/昭和49)500円。持っていないはずだが、もしかしたら2冊目かもしれない。
ネルケンで珈琲。さっそく『我輩は電気である』を拾い読みする。
《電子の立場になって電気現象を理解しよう》と、序文で趣旨が語られるのだが、そもそも電子の立場が如何なる立場なのか、私にはよく判らない。
その電子が銀ブラを試みるとどうなるか――《電子の銀ブラは、一寸難しいのです。何故なら、電子はブラブラ出来ない性分で》……ぷふッ。電子はブラブラ出来ない、それでも敢えて銀ブラを?
《余り速く、一秒間に地球を七廻り半もする速度で、銀ブラをしたので、少し草臥れたし》……電子も草臥れるんだな。
この本は竹内時男・岡部操両氏の共著だが、竹内時男には理学博士の肩書きがついている。岡部操がどのような人物なのかは判然としない。巻末に附された「電子隣組の歌」を見て急に思い出した、この本も誰かの古本随筆で取り上げられていた1冊だ。やっぱり横田順彌氏だったか別の誰かだったか……。
さて、それでは私も銀座へと参上し、連日の松屋、銀座古書の市へ。
5000円という価格に昨日は引き下がった『化の皮』服部亮英(磯部甲陽堂漫画双紙/大正8)、結局は買ってしまう。
こうなるのだったら昨日買っておけばよかったと今日は思うが、まあ致し方ない。売れていなかったことに感謝しながら、思い切って買ってみれば、引っ掛かっていた小骨が取れたようにすっきりとはする。
電子ではない私は、ブラブラなら難なくいくらでも出来るけれど、そうは云ってもやはり銀ブラをする性分ではないので、古本を買ったらとんぼ返りで引き返す。
【2023年8月追記】『日本SFこてん古典』……
『原子力時代』『ツンドラ警備』それから『我輩は電気である』。
いずれも自らの眼で発見したとは言えませんので、工夫のない買い方ではあります。
しかし書物についてのさまざまなエッセイを読み、「世の中にはこんな本もあったのか」と驚き、それら先達の炯眼が見出した本を、実際に自分の手にとる瞬間というのは、やはり古本漁りの醍醐味です。
誰の、どの本に書いてあったのか、そこをきちんとノートに控えておかないと、後々振り返る段になって、たいへん難渋するわけですが……。
たとえば『我輩は電気である』を紹介していた書物は、横田順彌『日本SFこてん古典』ではなかったかと思います。
『日本SFこてん古典』全3巻は、1980年から81年にかけて早川書房が刊行。のち1984年から85年にかけて集英社文庫に収録されました。
明治、大正、昭和と、黎明期のSF的な作品を知るうえでは最も重要な基本図書と言えるでしょう。
日本SF史における名著であることはもちろんですが、読み物としても抜群に面白く、怪作や奇書が続々と登場しては眼がまわります。SFという分野を飛び越えて、書物エッセイの名著であることも間違いありません。
ただし版元ではずっと品切となっており、容易に手に入らない状況が続いているのが難点です。
古本屋さんや即売展などでも、案外と見かける機会がありません。一旦入手したとなると手放さない人が多いのではないかと思われ、なかなか古書市場に出回らないのではないかとも想像されます。
古本では、分売なら1冊1000円から2000円くらい、3冊揃では5000円を超えることも珍しくないようです。これだけの古書価が付くということは、欲する人の数に対して流通する品物が少ない、ということなのでしょう。
図書館の多くには収蔵されているはずですから、読むことは可能でしょうけれど、ただ借りるだけではなく、手許に置いて、折に触れて読み返したい本でもあります。
著者の横田順彌氏は2019年に逝去されました。
今まで『日本SFこてん古典』が復刊されなかったのは、横田氏自身の意思によるものなのだそうですが、そうであったとしたら、お亡くなりになったあとにすぐ復刊してしまうのでは故人の生前の意思を蔑ろにするということにもなりかねません。とはいえ……このまま「幻の名著」として奉ってしまうのはあまりに惜しく、新しい読者のためにも、是非どこか文庫本で復刊を実現して、新刊書店で手軽に買えるようになるとよいのですが。天上のヨコジュンさん、いかがでしょう?……
(参考*「横田順彌」/フリー百科事典〈ウィキペディア〉)
蛇足。以下は私自身の冴えない報告です。
数年前、西部古書会館の即売展で集英社文庫版『日本SFこてん古典』全3巻揃を購入しました。
快心の収穫だったのですが、そのときの本が、今、見当たりません。
たしかあのあたりにあったはずだという、あのあたりをいくら探しても出てきません。
あのあたりの周辺、さらにその周辺と、捜索の手をひろげてみても、むなしく時間が過ぎるばかり。
「手許に置いて読み返したい本」などと言っておきながら、この有様ですから舌先三寸、こういう不心得をやっていると、いずれ古本の神様に破門されます。