【2012年2月19日】
この週末は即売展の開催なし。
財布も2月の底冷えであるし、倹約のためには恰度よいと言えばその通りなんだが、心身の衛生を保つためにはそうとばかりも言っておられず(そうかな?)、午後から八王子の佐藤書房へ出掛ける。
店先の文庫の棚で宇井無愁『浮世は楽し』(春陽文庫/昭和41)315円。
カバーの無い文庫本をひとまとめにした棚から『時計師のための時計学(Ⅰ)』青木保(資料社時計叢書/昭和24)105円。私は時計師ではないけれど、時計叢書というのは初見の文庫本でもあったので買ってみる。
店内では『演劇スポットライト』秦豊吉(朋文堂旅窓新書/昭和30)315円が小発見。
「押入れから古い絵葉書が出てきたんですけれど……」と、帳場にその絵葉書が入ったクッキーの空缶を恥ずかしそうに差し出した若い御婦人は、やがて、4000円という買取額を告げられて、さらに頰を紅潮させていた様子であった。あの古びたハガキが思いのほかにということなのだろう。
おそらくご先祖様のささやかなコレクションは、こうして子孫の家計をささやかに助けて、そうしてまた、古本世界の広野へと散らばってゆくのだろう。
余計な想像ながら、御婦人の家庭は今晩、絵葉書から変身したすき焼きか鮪の刺身か、思いがけない御馳走が食卓をうつくしく飾るのかもしれない。
そんな買取風景に心を和ませながら棚を歩くうちに、セロテープで補修してあった『時計学』の表紙がぽろりと外れた。
帳場の店員さんは会計をしながら、こちらから訊いたわけではないのだけれど、東京競馬の結果を教えてくださった。
【2023年9月追記】店頭買取風景
古本屋さんを巡り歩いていると、時折、店頭での買取風景に接することがあります。
お客さんが不要になった本を売りに来るのですが、本は重たい物ですから、紙袋に一袋分くらいが標準的な分量でしょうか。
店主さん、もしくは値付けのできる店員さんが不在のときは一時預かりになることもあるようですけれど、たいていは、その場で査定が始まります。
鮮やかな手捌きによって、すぐに結果は出ます。5分とは要さないでしょう。
持ち込んできたお客さんに声が掛かり、今まさに買取額が告げられる瞬間は、もう我が事のようにどきどきします。
あの冊数でこの値段、と意外な高値が付けばおどろきます。
「こちらは値が付きません」の殺し文句が発されたときは矢張り力が抜けます。
このように、他人様の商談を傍から立ち聞きすると云うのは、行儀のよい振舞いではありません。
分かっているつもりではありますけれど、どうしても好奇心のふるえに打ち克つことが出来ず、棚に向かって本を探すふりをしながら、全身を耳にして聞き澄ましてしまいます。
ほんとうは、どのような本が持ち込まれたのか、間近に張りついて1冊1冊確認したいのですが、さすがにそこまで踏みこむ勇気はありません。
古い絵葉書に思わぬ値段が付くこともあれば、自信満々で持ち込んだ本が二束三文で引き取られることもあるでしょう。
納得がゆかずに、持ってきた本をそのまま持ち帰る人もあるようです。
期待と不安の入店から始まって、やがて訪れるのは望外のよろこびか、それとも失望か。
感謝感激、元気百倍、意気揚々。平然、痩せ我慢、あるいは無言、時には捨て台詞……。
古本屋に本を売る、古本屋が本を買う。たったそれだけの悲喜こもごも。人生の一幕劇には違いありません。