【2012年6月8日】
東京古書会館、新興展。
五十嵐書店の棚に北村初雄詩集『正午の果実』を見つけるが、裸本4000円に躊躇。
1月の銀座松屋展で見かけた『東亞あれこれ』長谷川春子と『島の写生紀行』横井弘三(この両冊も函欠の裸本)が揃って出品されており、『島の写生紀行』は3000円から2000円に値下げされていたが、どちらも購入には至らず。
九蓬書店では雑誌『古本屋』終刊号が1500円、しばらく撫でまわした末に、見送る。
結局は例によって目録だけを貰って退散となる。
駿河台下の交差点で信号を待っているのは、今しがたの新興展で、漢籍か何かを山のように買い込んでいた御婦人だ。
懐中から取り出したサングラスを凛々しく決めて、足元に置いた古書の包みのほかに荷物もなく、青信号、それらの包みをふたたび左右の手に提げると、スカートの長い裾をひらめかせ、足早に古書店街へと消えてゆく。何やらハードボイルドだ。謎の古本美女だ。
三茶書房から@ワンダーまで、店頭の均一棚をぶらぶら。
何も見つからず、今日はまだ1冊も買っていない。
折り返して、三省堂古書館を覗いたあとは、もういちど新興展を訪れる。
文行堂、朝倉屋書店、九蓬書店、それぞれ平台に積んだ廉価の和本を掻きまわし、1時間ほど奮闘、九蓬書店から『漢画指南』山水之部/井澤保治編(鐘香園/明治13)1000円を選ぶ。
高円寺へと移動して、ガード下四文屋の読書席に落ち着いて、『漢画指南』をめくる。
樹木や水面に彩色を施した図もあり、また〈酒ヲ載スル〉と題された図は、そのとおり酒壺を載せた小舟が簡略な線で描かれている。
焼酎を呑みながらその小さな画を眺めれば、はるばると、見知らぬ川の流れに心は遊ぶのである。
【2024年2月追記】本ヲ載スル
時々は和本を買ってみます。
古い和紙のやわらかな感触は、指先で読書をするというような心地よさです。
読書、と言っても、うねうねとつながる昔の文字を私は判読できません。
勉強不足はひとまず棚上げにして、購入するのは、専ら絵がたくさん入った画譜です。
もちろん値の張らない本に限られます。
ちょっと覗き見するような戯れの域にとどまりますし、眺めて、それでおしまいというような、その場で満了する気晴らしです。
たとえば『漢画指南』の〈酒ヲ載スル〉。
帳面の隅の落書きみたいな絵を横に置いて、それでお酒の味がいつもより少し旨く感じるのならば、もうそれだけで充分です。落書きは言い過ぎですが。
あるいは和本の軽さは、寝転がって読む(眺める)にはたいへん具合がよいのです。
うつらうつらときて、本を取り落としても、角が頭にぶつかった痛さで目が覚めるなんていう心配は無用です。
本ヲ載スル――。
午睡の夢の中で、小さな本を載せた小さな舟が、どこか異郷のゆるやかな川の流れをゆるゆると下る。
そんなすこやかな夢を見てみたいものですが如何せん、本を積み過ぎて、今にも沈みそうな悪夢は避けられないのではないかと、我が身の日頃の行ないが暗示します。