【2010年6月18日】
東京古書会館、ぐろりや会。
まずハヤカワ・ライブラリ『時計の話』に手を伸ばしてみる。1050円。時計に関する文献を集めているような、たとえば時計研究家にとっては納得の値段だろう。時計の研究をしているわけではないただ興味本位の私にとってはちょっと高い。
一応は手元に確保しておいて、いつでも返却する心構え……だったのだが、どういう巡り合わせだったものか、次の1冊が現われないままに会場を一周してしまう。
最後になってようやく、辰野隆『忘れ得ぬ人々』(講談社文芸文庫)300円を追加したものの、さて上野益男『時計の話』はどうするか。ほんのわずかな時間とはいえ、しばしの同伴に行きずりの情けが芽生えるのか、改めて見直すと、茶ばんだパラフィン紙の破れ目からちらりと覗く本体の、素肌の白さが婀娜めいて、絆される。購入する。
細身でスラリとしたハヤカワ・ライブラリの寸法(ポケミスと同じ判型)は、手のひらと相性がよいのだ。
駿河台下の交差点から九段下に向かって、店頭均一棚をひやかしながら歩く。悠久堂書店で『お金の哲学』菅原通濟(大蔵出版)100円。アムールショップで『ネコの世界』今泉吉典・今泉吉晴(平凡社カラー新書)と『巴里アルバム』福島慶子(三笠文庫)、2冊100円。ブンケン・ロック・サイドで『山菜料理』斎鹿潤子(カラーブックス)105円。
それから洋書専門の小川図書を初めて利用する。もちろん洋書を買ったわけではなく、店先に文庫本の入った100円均一箱が置いてあった。『探偵を捜せ!』パット・マガー(創元推理文庫)と『黒の迷路』ロレンス・ダレル(ハヤカワ文庫)の2冊。洋書は買っても読めないし、と書きかけて、日本語で書いてあっても買うだけ買って読まないのだったら同じことじゃないか?
九段下から東西線に乗って中野へ移動。
2、3日前、大屋幸世『蒐書日誌』をぱらぱらめくっていたら、中村武志『埋草随筆』の記述にぶつかった。ちょっとした珍本なのだそうだ。その本ならこのあいだ、まんだらけで見かけたばかりだった。
その場で買い求めなかったのは、ややためらうような値段だったからなのだけれど、幾らだったか思い出せない。大屋氏は200円で発見したとのこと羨ましいかぎりだが、名人の収穫を羨んでも仕方がない。それで、1500円くらいなら買うつもりで、中野に出向いたという次第。
ブロードウェイのまんだらけ。とりあえず3階のマンガ売場を巡回して、松本耳子『ぷちキャバ』(少年画報社)315円を購入する。『耳エロ袋』とか『耳サブレ』とか、松本耳子氏のコミカル・エロを愛読しているのである。この『ぷちキャバ』は初見の1冊だったが、耳子氏の実体験に基づく漫画なのだそうである。〈キャバ嬢時代の作者の写真掲載〉という表紙の謳い文句に胸を躍らせたのである。そして廊下を歩きながら釣銭を財布に仕舞おうとしたら、100円玉がポロリと落ちて、ころころ、向こうから来た女の人の靴をかすめて、なおころころ、鮮やかな曲線を描きつつ陳列ケースの下の隙間に消えてしまった。
4階に上がり、本題の『埋草随筆』は……。2100円だった。なるほどこの値段ではためらうわけだ。
今日もやっぱりためらった。ここは辛抱して、いつかもう少し安い値で即売展に出品される日を待つことにしよう。その代わり、これも以前から買おうかどうしようかずっと迷っていた岡部冬彦『いたずら紳士』(講談社)840円を買うことにする。
今日のまんだらけでの新発見は小暮祐子『恋びとたち』735円。先月、藤井書店で同じ著者の『シークレット・レンズ』という新書判を買った。両書とも二見書房のサラブレッドブックス。小暮氏は自販機本のモデルからライターへと転身した経歴を持つそうだ。
そのほか鴨居羊子『私は驢馬に乗って下着をうりにゆきたい』(ちくま文庫)を105円均一棚から。
線路伝いに歩いて高円寺。
都丸支店の店頭棚を覗いて、それから久しぶりにネルケンで珈琲を飲む。交響曲の切れぎれに、降り始めた雨だれの音が混じる。東京古書会館でもらった古書目録をめくり、欲しいからと言って何でも買うわけには参らぬけれど、気分だけは注文するつもりになって、気になる書目に鉛筆で印をつける夕まぐれ。
アーケードを横切って、最後は飛鳥書房に立ち寄る。
実用の任を解かれたような昭和のエロホンがたくさんあって、格安処分かというと、中には1500円や2000円の値が付いていたりもして、これはもはや資料としての価値なのか、などと。あるいは「モデル・小暮祐子」の写真集がどこかに?
何も見つけられずに店を出ようとして、もういちど入口に近い棚の上のほうを見たら『猫の小事典』(誠文堂新光社)に目がとまる。著者の乾信一郎はユーモア全集の執筆陣にも名を連ねていたはずだ。ユーモア作家による猫事典とはなかなか面白そうだ。500円。帳場へ持ってゆくと、ご主人は売値を見て「あれ、500円だったかな」と首をかしげた。一瞬ぎくりとするがそれは反対だった。「300円です」と仰有る。200円が浮いた。
これはどうなんだろう。まんだらけの陳列棚の下に消え失せたはずの100円玉が、1枚オマケをつけて戻ってきたということになるのだろうか。
【2023年1月追記】
洋書専門の「小川図書」は神保町古書店街の西端近くに位置します。
正調な佇まいの古本屋さんでしたが、2020年の秋ごろから改装が始まって、現在はアートギャリーのような斬新な外観になっています。
あまりの変貌ぶりに、最初はお店の前を通りかかってもまったく気がつかなかったほどです。
そうと知って、びっくり仰天。
屋号を「萬響(ばんきょう)」と改め、店内もまさにギャラリーかショールームと言った趣きで、洋古書や古典籍が壮麗に展示されています。
東西6店舗の古書店による、アンティークブック・プロジェクトなのだそうです。
萬響の母体でもある小川図書は、同じビルの4階に移って営業を続けています。
ただし来店の際は事前の連絡が必要とのことです。
記憶が定かではありませんが、小川図書で本を買ったのは、この日が最初で最後だったかもしれません。
◇
松本耳子氏は『毒親育ち』(扶桑社/2013)の著者としてご存知の方も多いと思います。
機会があれば漫画作品のほうもぜひ。
◇
高円寺の「飛鳥書房」はすでに閉店しています。
飛鳥書房につきましては、わずかな記述ですが、以下の日記もご参照ください。
→【2010年1月23日/2022年11月追記】中央線古書展で『蛸のあたま』