【2011年12月16日】
先月の五反田行よりも20分ばかり早出をする。
やはり朝の数刻は貴重であって、ちょっと早いだけでもずいぶん余裕が生まれる。
渋谷駅の人波も無闇と先を争わず、程々に身をまかせ〈明日の神話〉をちらっと眺めてみたりする。
9時15分、それでも南部古書会館に着いてみると、既に30人余りが路上の平台を鵜の目鷹の目。
私の早起きなどはまだまだ三文の徳には及ばないのだと、並居る書痴連のうしろから首を伸ばしながら、それでも、今日の古本へと赴くときの逸る心は、老練も駆け出しも、まったく同等にいつも新鮮に逸る心なんだろう。
五反田古書展。9時半開場の1階にて『駅弁物語』瓜生忠夫(家の光協会/昭和54)200円。それほど珍しい本ではないし、即売展で幾たびか目にする機会も、割とあっさり見送ってきた1冊なのだが、今日は200円という捨て値(?)に絆されて買うことにした。
2階。公文堂書店の棚に『大人のよるのおもちゃ集』木村次郎(ルック社/昭和45)630円。写真が豊富で愉快なり。数箇所の切抜きがあるのは残念だが、そのひとつはダッチワイフのページで、前の持ち主はいったいなぜダッチワイフの図版を切り抜いたのか、資料として転用したのだとしたらいったい氏は何の研究に携わっていたのか、興味は尽きない。
遠藤書店の棚で、羊門文庫『柯公随筆』に立ち止まる。
目録にも掲載されていた本だが、羊門文庫なんていう文庫名は知らなかった。売価2500円となかなかの値段で、こうして会場まで持ち越されたということは誰も注文しなかったのだろうけれど、100ページにも満たない小さな本を手に持って、身体がカッと火照る。1冊の書物がもたらす熱量は、その書物の、物体としての大小や軽重と相関するわけではないのだ。
とりあえず『柯公随筆』は手許に確保しておくことにして、他の棚の様子を見る。
『美しい悪女たち』狭山温(あまとりあ社/昭和38)、『朝風呂の味』田辺禎一(住吉書店/昭和31)、『コント名作集』現代ユーモア文学全集第20巻(駿河台書房/昭和29)。
あまとりあ社の新書判、住吉書店の粋人酔筆、駿河台書房のユーモア全集と、いずれも200円での登場に、勢いがついたというのか、ただ浮かれちまっただけなのか、とにかくこの時点で『柯公随筆』大庭柯公(羊門文庫/昭和13)2500円、購入を決意する。
これが他に何も見つからない場合だと、一気に熱が冷めて手放したりもするのは奇妙な心理だ。
こうしてひとたび古本の精霊が取り憑いた(?)となると、散財の快楽が我が身を駆り立てる。
『朝餐』安部艶子(スタイル社/昭和15)500円、『カッサンドル展』図録(東京都庭園美術館/1991)2500円ときて、最後に古書赤いドリルの棚で『笑いの創造』秋田實(日本実業出版社/昭和47)500円を見つけた刹那には遂にエクスタシーに達したのかどうか、しかし取り憑いたと言ってもこの程度でまとまってしまうのだから、まあ安上がりの憑依ではある。
続いて神保町。
古書会館に向かう途中、澤口書店巌松堂ビル店の店頭から『筑豊炭坑ことば』金子雨石(名著出版/昭和49)300円。ついでに店内も一周して、日劇ミュージックホールの記録『裸の女神たち』石崎勝久(吐夢書房/昭和57)1000円。ようやく、旧巌松堂図書のこの店舗で買物をして、何やらお墓参りを済ませたような心持ち……。
東京古書会館の新興展。
そうなるのではないかと予想したとおりの零冊。
和本の出品数が多いので、或いはと思って、画譜画譜画譜と、山を掻き分けてみたのだが、いつぞやの『唐土画譜』のような遭遇には恵まれなかった。あったとしても価格の桁が違う。玉座の高みから、古本精霊の長老に軽くあしらわれたというところか。
前回(6月)と同じように、目録だけ頂いてすごすご引き下がる。
【2023年7月追記】羊門文庫
この日、初めて眼にした「羊門文庫」。
岩波文庫を思わせるような装幀です。
版元の所在地については、購入した『柯公随筆』の奥付で確認したいところなのですが、さて『柯公随筆』、この部屋のどこに埋もれているのか皆目見当がつきません。
国会図書館の蔵書を調べてみますと、羊門文庫は、昭和12年から15年頃にかけて、20冊ほどが刊行されています(収蔵漏れの欠巻があるかもしれません)。
そのうちの1冊、第9巻『富の増進』江原万里(昭和13)がインターネット公開されていますので、同書の奥付ページを閲覧したところ、発行所の羊門社は名古屋市中区滝川町20。
発行者は横井秀子となっています。
奥付の次ページには「読書子に寄す――羊門文庫の発刊に就て」という一文があり、《この文庫はドイツのレクラム文庫、日本の岩波文庫を範にとり、……》と明記してあります。
なるほど、お手本が判明しました。
そもそも巻末の「読書子に寄す」と言えば岩波文庫で御馴染みです。
岩波版「読書子に寄す」には岩波茂雄の署名がありますが、羊門版は無記名です。
刊行書目については《基督教文学を主とし、……》とのことで、『バンヤンの「天路巡礼」梗概』『アシシのフランシスの音信』『聖書と伝道』といった書目が並びます。
「羊門」というのはキリスト教と関わりのある言葉でもあるようです。
文庫各冊の定価は「★一ツを十銭」とするとあります。
表紙の意匠のほか、このあたりも、念入りに岩波文庫を範にとっていると言えそうです。
ちなみに『柯公随筆』は★二ツです。
話は逸れますが、神保町にはキリスト教文献を専門に扱う「友愛書房」という古書店がありました。
私などはまったくの門外漢ですので、いつもお店の前を通り過ぎるだけで、とうとういちども入店しないまま、2023年2月末で閉店となってしまいました。
友愛書房の棚には、羊門文庫が揃っていたのかもしれないと、今更ながら思います。
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その他……。
「澤口書店巌松堂ビル店」は、元々「巌松堂図書」という古本屋さんでした。
閉店した巌松堂図書の店舗跡を引き継いで、2011年に澤口書店の支店として新規開店しました。現在も営業しています。
〈関連日記〉
巌松堂図書の閉店につきましては下記ご参照ください。
→【2010年11月19日/2023年2月追記】巌松堂図書の閉店謝恩セール
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東京古書会館の「新興展」は、和本や書画、漢籍など、古典籍が壮麗に陳列されます。
洋本(いわゆる普通の本)もあるにはありますが、雑本派にはなかなか出番の少ない即売展です。