【2011年12月2日/2023年6月追記】西部古書会館の西部展など

【2011年12月2日】
高円寺、西部古書会館の西部展。
今週の即売展は西部展のみ開催なので、もっとお客さんが集中するのかと思ったのだが、雨の予報と、また気温も冷え込んでいるためなのか、会館の門前でそわそわと開場を待っているご常連は14、5人。案外と少ない。
お互いの顔は何となく見知っているし、ほとんど身内とも言えるような小集団なのだが、よほど親しい間柄でもないかぎり無闇矢鱈と声を掛け合ったりはしない。そんな馴れ合いに身を任せていたら大事な古本を買いそびれると、これはちょっと言い過ぎだが、さて門が開けば天下一匹、さっきまで会話を交わしていた人たちも押し黙り、今日の古本へと突き進む。
少なめの客に合わせたわけではないのだろうけれど、ガレージの廉価本の量はいつもの半分くらい。古本の代わりに戦車のプラモデルが10箱ばかり置いてある。皆様しばしの手持ち無沙汰。

10時5分前、室内会場の戸が開く。
藤井書店の棚から竹中郁の散文集『私のびっくり箱』(のじぎく文庫/昭和60)420円。
古書英二の棚には昔の新書判が1列ほど並んでいたが、それらは先日の松屋浅草古本まつりで売れ残ったものがそのまま高円寺に流れ着いたようであり、めぼしい発見は得られず。
アカシヤ書店では秋田實『私は漫才作者』が2000円。カバーの少破レ、小口の少シミなど、状態からすると1500円でもよいのでは、と、素人はすぐに駄々をこねるのだが、これは状態云々よりも内容に関しての正当な評価なのだろう。
ぶつぶつ言わずに買っておけばよさそうなんだが、なおぶつぶつ、これを1500円もしくはそれ以下で見つけることこそ古本行脚の妙味ではないか、などと適当に自分を言いくるめ今日は見送る。
それで最後は大石よもぎ写真集『たとえば明日には』撮影・力武靖(スタジオR/2001)1050円。

竹中郁「私のびっくり箱」表紙
『私のびっくり箱』竹中郁(のじぎく文庫/昭和60)

ネルケンで珈琲を飲みながら西部展会場で貰った今回の目録を眺める。
藤井書店が『名作漫才選集1』と『私は漫才作者』を出品していてどちらも2100円。2冊とも会場には置いていなかったようだから注文が入ったのだろう。秋田實は人気が高いのかもしれない。そして『私は漫才作者』は、どこのお店でもこれくらいと言うような、2000円が相場なのかもしれない。

午後はまず、ささま書店。
『クモの宮殿』リチャード・ヒューズ(ハヤカワ文庫/昭和54)315円、『桂ゆき展』図録(下関市立美術館/1991)1575円。
見ものだったのは内藤ルネ短篇集『幻想館の恋人たち』15750円。当時の定価(450円)と較べても詮無いことだが、古書価はまったく変幻自在に伸び縮みする妖しい虫だ。

荻窪から中央線に乗る。乗った直後、ささま書店の傘立てに傘を忘れてきた、と気づく。
雨は朝のうちで上がったようだから、もう忘れたふりをして放っておくかとも思うが、西荻窪で引き返す。
傘を回収し、もういちど荻窪から中央線に乗り直して吉祥寺。
久しぶりのいせやでのんびり酔うて、こちらも久しぶりのバサラ・ブックス。
森下雨村『猿猴川に死す』(平凡社ライブラリー/2005)300円、渡辺温全集『アンドロギュノスの裔』(創元推理文庫/2011)900円、福沢一郎の画文集『美しき幻想はいたるところにあり』(上毛新聞社/1998)400円。

【2023年6月追記】初日朝一番に集う人々
即売展の初日朝一番には、おおよそ決まった顔ぶれが集います。
会によって差はありますが、せいぜいが50人から60人くらいと云ったところですので、何回か通っているうちには、ご常連の皆様の顔をいつのまにか覚えるようにもなります。
書友、とでも言うのか、即売展の会場だけで顔を合わせる古本仲間という人たちもいらっしゃるようです。
会場で、お互いの無事を確かめ、近況など報告して、それではまた来週、というような感じでしょうか。
常連客ともなれば、それが自然な成り行きなのかもしれませんが、なかには、いくら通い続けても誰とも喋らない人もいます。私がそうです。
だからと言って何か咎められるわけではなく、それならそれで、いつ迄でも放っておいてもらえます。
さあみんなで仲良くやりましょう、というような和気藹々が時に息苦しくなる者にとっては、まったく有難いです。
もちろん、新参者を疎外するような空気は一切ありません。あくまでも、人は人、です。
どれほど親しい間柄であっても、さっきまでは四方山話に花を咲かせていた人たちも、いざ開場となれば、一転して寡黙になり我が古本の道へと進む。
毎度お馴染みの顔ぶれではあっても、根本は確たる孤の集合であるということを、端的に示しているのではないかとも思います。
本を探すのは、いつも一人です。
ここ3年ほどのコロナ禍のもと、混雑を避けるという用心も手伝って、初日の朝一番には駆け付けなくなりました。
2023年になって、様々な行動制限も解除されましたが、いったん行動の変化が身についたとなると、今度はそれが常態ともなるようです。
加えて、最近は諸事情(一般に経済とかお小遣いとか言ったりするものです)がいよいよ差し迫ってきたりもして、即売展を訪れる機会そのものが減ってしまったという始末です。
これなども早い話が、鍍金めっきが剝げたということなのかもしれませんけれど……。
たまに、開場直後の古書会館へ参じて、ご常連の皆様の、以前と変わらぬ活躍ぶりを眼にしますと、ああ古本はこんなにも永続して人を惹きつけるものなのだなと、改めて感銘を受けます。
お顔は存じ上げておりますが、もちろん未だに、声を掛けることも掛けられることもありません。
何かの拍子にちらっと、眼が合ったりします。
先方様の心中を察することは出来ませんが、もしかしたら「まだ生きていたのか」くらいには思っているのかも……?
それもほんの一瞬で、またそれぞれの古本へと没入してゆきます。
何となく見知ってはいるけれども、ひとまずはそれ以上に強固な絆で結びつかない。即売展の会場は、大勢のなかで、一人(孤独であること)を保証してくれる場所であります。
古本とは、最初から最後まで、一貫して自由な世界なのだと、思わずにはいられません。

〈関連日記〉
西部古書会館の初日朝一番風景
【2010年4月3日/2022年12月追記】初日朝一番の西部古書会館、それから神保町の和洋会