【2011年11月25日/2023年6月追記】和洋会で散財

【2011年11月25日】
南部古書会館、五反田遊古会。
1階で『題名のない本』楠本憲吉(コダマプレス/昭和42)、『永久運動の夢』アーサー・オードヒューム(朝日選書/昭和62)、『家庭向きフランス料理』大平茂(婦人之友社/昭和4)、200円の本を3冊。
2階では『和蘭勘定』摂津茂和(読切講談社/昭和17)500円。

大平茂「家庭向きフランス料理」外函表紙
『家庭向きフランス料理』大平茂
(婦人之友社/昭和4)

神保町に移動して、田村書店の店頭にて山中共古『砂払』上・下(岩波文庫/昭和62)2冊400円。
東京古書会館の和洋会。
玉川一郎、園田てる子、国東半島の塞の神と、200円の本を拾い上げ、それから虔十書林と史録書房の棚から竹村猛児を1冊ずつ。『患者待合室』『診療簿から拾った話』どちらも1000円。竹村猛児の著書を見かける機会はあまりないのだが、出るとなると違う店から立て続けに現われるから面白い。
手堅くまとまりかけたところへ夏目書好洞、小杉未醒『景勝の九州』3500円。別府から阿蘇雲仙を経て長崎に至る旅行の紀行文だ。どうする?
一旦は棚に戻して歩を進めると、今度は書林自然閣に『東海道漫画紀行』4000円、ううむ……参りました、買います、どちらも買います。

購入メモ
*和洋会/東京古書会館
『つんどくほん』玉川一郎(永立出版/昭和51)200円
『世界の男の味』園田てる子(あまとりあ社/昭和48)200円
『国東半島におけるさいの神』酒井冨蔵(国東半島文化研究所/昭和39)200円
『患者待合室』竹村猛児(大元社/昭和17)1000円
『診療簿から拾った話』竹村猛児(大隣社/昭和14)1000円
『景勝の九州』小杉未醒(日本風景協会/昭和5/増補改訂)3500円
『東海道漫画紀行』東京漫画会(朝香屋書店/大正11)4000円

小杉未醒「景勝の九州」表紙
『景勝の九州』小杉未醒
(日本風景協会/昭和5/増補改訂)
「東海道漫画紀行」表紙
『東海道漫画紀行』東京漫画会(朝香屋書店/大正11)

ミロンガで珈琲を飲んでいると『壁の中のSEX』のことを思い出した。
さっきの和洋会の会場で、まずは保留にしておいて、最後にもういちど手にとってから購入するかしないか決定するつもりだったのだが、景勝の九州と漫画紀行とで頭がのぼせていたようで、そのことをすっかり忘れていた。
ずっと忘れたままならそれで済んだのかもしれないが、ここで思い出してしまった以上は仕方ない。
古書会館へ舞い戻る。
『壁の中のSEX』石橋無事(朱雀社/昭和34)500円をふたたび手にとり、そしてさっきは目につかなかったはずの『一寸した旅』森暁紅(博文館/大正10)2000円なんていう本が目についてしまう。2冊とも追加で購入。もう今日は出血だ。

森暁紅「一寸した旅」表紙
『一寸した旅』森暁紅(博文館/大正10)
*パラフィン紙が掛かっています

【2023年6月追記】散財のメカニズム(?)
散財の基準は人それぞれ。以下はその一例です。
限られた経済でやりくりする以上、手当たり次第に買い込むというわけには参りません。
普段から廉価本を軸に拾い集める者にとっては、売価が2000円3000円を超えてくるあたりから、財布との悩ましい駆け引きが始まります。
もちろん、長年の探求書であればためらうところではありませんが、そこまではいかない本、初めて見る本などの場合が難題です。
思案の末に、買わないときもあれば買うときもある。
この分かれ目も、自分自身で明確に把握しているわけではないのですが、必ずしも金額だけによるものではなさそうで、その日の体調なども多分に影響しているようです。
たとえば価格3000円の本に出くわします。
ちょっと面白そうな本。もし1500円なら躊躇なく買っているだろう。
さてどうしようと、しばし考えて、とにかく買ってしまおう、と決断を下したとします。
その瞬間。どうかすると、別の回路に切り替わってしまうときがあります。
今日はもう、どんどん買うのだ。そういう星の巡り合わせなのだ。
どうやらそこが、散財の発火点でもあるようです。
この日で言うと『景勝の九州』3500円が該当の書となりますが、一旦は保留にしていますから、続いて現われた『東海道漫画紀行』と合わせての発火と言えるでしょうか。
2000円から3000円、4000円と、上限の値段が釣り上がってみると、それに見合った本が不思議と現われる。
しかしこれも不思議でも何でもなく、そういう価格帯の本を極力見えないように心がけていた意識の覆いが取り外されて、見通しがよくなったということなのかもしれません。
財布に用意したお金をありったけ、場合によっては、抱えた本をひとまず帳場に預けておいて、銀行へ走ります。
古本の魂に火がつく、と言えば聞こえは良いのですが、我を見失う、自制が効かなくなる、など他に言い方がありそうです。
会場を出て……、今日ここで見つけた本とはもう二度とお目に掛かれないかもしれないけれど、財布の中のお札は同じ物が巷間にいくらでも溢れている。どちらを優先するかは明白ではないか、と自分で自分に言い聞かせます。
溢れてはいても、それが自分の物ではないという要点については決して触れないように用心します。